自分のスタイルで写真を撮る方法
写真家にはそれぞれスタイルがあります。
パッと見て「誰々っぽいね」とすぐ思い浮かぶような、他とは違う、その人ならではの際立った特徴があるのです。
いわゆる「写真家」と呼ばれる人たちと、そうでない人たちを隔てる最も大きな要素は、「スタイル」です。
一般の人の写真には「あ、キレイだね」とか「あ、うまいね」という写真はたくさんありますが、「これは誰それの写真だね」とハッキリ指摘できるような際立った特徴は、なかなか無いものです。
「スタイル」
十分写真もうまく撮れるようになったし、「いいね!」もたくさん付くようになった。
だけど何か物足りないという人は、次なるステップとして「自らのスタイルで撮ってみる」というのはいかがでしょう?
スタイルとは、上手さやテクニックとはまた別次元の要素です。
そこから得られる醍醐味もやはり、上手さやテクニックとは別次元のものです。
1.写真家のスタイルとは
たとえばアラーキーの写真と杉本博司の写真は全然違います。
©Nobuyoshi Araki
©Hiroshi Sugimoto
アンセル・アダムスとアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真も全然違います。
©Ansel Adams
©Henri Cartier-Bresson
写真家にはそれぞれ個性があり、その個性が各々の写真を見分ける特徴となっています。
写真家の写真とは基本的に、ただ上手いだけでも、ただキレイなだけでもなく、ハッキリとした特徴を備えています。
むしろ、上手くもなく、キレイでもなくても、その際立った特徴によって写真家と認められる場合もあります。
©Kayo UME
©HIROMIX
つまり、写真家を写真家たらしめているは、テクニックでも出来栄えでもなく、そのユニークな「キャラクター」なのです。
しかし、キャラクターが際立ってさえいれば、それだけで写真家と呼べるのかというと、そうでもありません。
写真家には確かに、際立った特徴があります。
植田正治の写真を間違える人はいませんし、メイプルソープの写真も、誰が見てもソレとわかります。
©Shoji Ueda
©Robert Mapplethorpe
しかし、撮る写真に何かしら特徴を付与したからといって「いやー、君の写真にはスタイルがあるね~」とは言われません。
スタイルとは、そういう「目に見える形」ではないのです。
目に見える形をどうこうすることが、スタイルではないのです。
それは目に見える形によってもたらされるわけではありますが、目に見える形そのものではありません。
家族を横一列に並べることがスタイルではないし、花をモノクロで撮ることがスタイルでもありません。
目に見える形を通じて伝わるからといって、目に見える形をいじっても、それでスタイルのある写真になるわけではないのです。
スタイルとは、ハッキリと感じられるものではありながら、ハッキリとは説明できないもの。
「よくわかるけれど、よくわからない」
それこそがスタイルの妙味です。(笑)
2.スタイルの正体
写真におけるスタイルでひとつ言えるのは、それはその写真家の「キャラクター」だということです。
人にはそれぞれ個性があるわけですが、その個性が写真に反映したものがスタイルと言っていいでしょう。
アラーキーの個性と杉本博司の個性は違いますし、アンセル・アダムスとアンリ・カルティエ=ブレッソンの個性も違います。
その個性の違いが、それぞれの写真に反映しています。
しかし、個性ということで言えば、我々一般人にも個性はあります。
ですから、我々一般人が撮影した写真にも、個性は反映されているはずです。
でも一般的に言って、我々が撮影した写真には「スタイル」がある、とは言われません。
なぜでしょう?
それは、個性があったとしても、それがちゃんと写真上に反映されていないからです。
写真ってものは、ただ単に撮れば、それだけで自動的に個性が発揮されるわけではありません。
いや、ただ単に撮って個性が発揮される人もいるでしょうが、それはいわゆる「才能がある人」であって、ごく一部です。
大多数はただ撮っても文字通り「ただの写真」であって、そこにスタイルなるものは発見されません。
つまりスタイルの有無とは、個性を発揮しているかどうかの違いです。
個性は確かに全員が持っていますが、「持っている」ことと「発揮すること」は別問題、というわけです。
3.写真上にスタイルが発揮されない理由
ではどのようにすれば、写真において個性を発揮することができるのでしょうか。
これは逆に、なぜ発揮できないのかを考えてみるとわかります。
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