おじいちゃんの気持ち

 母の実家は北海道にある。そのため母方の祖父を「北海道のおじいちゃん」と呼んでいた。私は母の実家が大好きで、とりわけ祖父が大好きだった。祖父も初孫の私をかわいがってくれて、祖父の車をぶつけようが、家の中でたばこを吸おうが、怒ることはなかった。遊びにいくといつも、ケースでリボンナポリンを用意して歓迎してくれた。祖父が亡くなったいまでも、リボンナポリンは私の大好物で、たびたび通販で取り寄せて飲んでいる。

 祖父は80歳くらいで認知症を患った。診断を受けた直後は本人はショックを受け手いる様子だったと母から聞いたが、孫の私にはそんな様子は見せなかった。いつも庭にでていて、草木の手入れにせっせと精を出す寡黙で優しい人だった。少年時代に満州に渡り、満州鉄道の工員として働き、敗戦で引き上げてきたらしい。引き上げは大変だったと聞くが、現地で中国人に助けられたようで、中国に良い感情をもっているようだった。その後は国鉄で定年まで働き、青函トンネル駅に祖父の手形が飾られていたと聞く。名誉なことだと思う。また、かわいいものが大好きで、特大のかわいい招き猫の置物を突然買ってきて玄関先に置いて、家族みんなをびっくりさせるひょうきんな所もあった。

 祖父が亡くなったのは2020年12月23日だった。90歳くらいだったと思う。介護老人ホームで誤嚥性肺炎になり、入院して一週間もたたずに亡くなった。危篤の知らせを聞いてすぐに駆けつけたかったが、祖父の近くに住む叔母から見舞いに来ないように連絡があり、断念した。新型コロナウィルス感染予防を理由に断られたが、実際は母と叔母の家族仲の悪さによるものだろうと思っている。そしてその後まもなく祖父が亡くなってしまった。
 死に目に立ち会えなかったためかもしれないが、祖父の晩年の気持ちを考えてやるせなくなることがある。生前、祖父の見舞いにほとんど行かなかった。孫が3歳になったら顔を見せに行こうくらいに考えていたら亡くなってしまった。祖父はどんな気持ちでいたのだろうか。
 祖父の晩年に寄り添ってこなかったことを後悔している。もっと頻繁に会いに行けば良かった。母と叔母との仲裁をして、家族一丸となって、祖父の最後に立ち会いたかった。

 いまはただ、祖父の最後の気持ちを想像したり、祖父との思い出を思い返したりして、自分なりに祖父を弔うしかない。
 おじいちゃんはどんな気持ちでいただろう。これから私にできることはあるだろうか。私は最後に何を思うだろうか。

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