REVIVE 第十二章
第十二章 月に一度は「何もせず」に過ごす
前回のお話
ワーカホリックまっしぐら
拓真は、地元の人々と進める地域活性化プロジェクトに没頭していた。アイデアが実を結び、確かな進展を見せているはずだった。しかし、その喜びはいつしか重圧に変わり、毎日の忙しさに心と体が押しつぶされそうになっていた。メール、会議、打ち合わせの連続。やるべきことが山積みで、常に情報が頭の中を駆け巡り、整理する暇もなく、心がどんどん疲弊していった。
ある日、疲労のピークを迎えた拓真は、仕事を続ける手を一瞬止めた。そして、ふと心の奥底から疑念が湧き上がる。
「これって、東京で働いていた時とあまり変わらないんじゃないか…?」
夢を追い求め、故郷に戻ってきたはずなのに、気づけばかつての東京での生活と同じように、目の前の仕事に追われていた。彼は、これでは自分が本当に求めていた生き方とは違うのではないかと、心のどこかで感じ始めていた。しかし、その疑念を振り払うように、さらに仕事に没頭しようとするも、疲労感が増すばかりで集中力は限界に達していた。
鶴見さんからの訓え
その日、体がフラフラになった拓真は、亀岡の駅前を足元のおぼつかないまま歩いていた。目の前が少し霞んでいるような感覚さえ覚える。そんな時、ふと目の前に立っていたのは鶴見さんだった。
「お前さん、どうしたんだ?顔色が悪いぞ。」
鶴見さんの落ち着いた声に、拓真は驚きながらも、その場に崩れ落ちそうなほど安堵を感じた。
「実は…」拓真は、胸の中に溜まっていた疲れや焦りをそのまま打ち明けた。
「プロジェクトは順調なんですが、それが逆にプレッシャーで…何もかもが頭の中で渦巻いて、整理する暇がなくて、楽しさよりも重荷に感じてしまうんです。」
鶴見さんは黙って拓真の話を聞き、最後に深く頷いた。
「お前さん、ずいぶん無理をしているようだな。頑張りすぎてるんだよ。」
「でも、やることが多すぎて、手を止めるわけにはいかなくて…」
言い訳のように拓真が呟くと、鶴見さんは優しく微笑み、言葉をかけた。
「時には『何もせず』に過ごすことも必要だぞ。」
その言葉に、拓真は思わず戸惑いを覚えた。
「何もせずに過ごす…?」
鶴見さんは、まるでそれが当然のことだというように言葉を続けた。
「月に一度くらい、自然の中に身を置いて、ただのんびりと過ごしてみろ。自然の音に耳を傾けて、何も考えない時間を持つんだ。そうすることで、心と体がリフレッシュされ、新しいアイデアも浮かんでくるもんだ。」
「でも、そんな時間を取る余裕があるのかどうか…」
拓真が不安そうに尋ねると、鶴見さんはしっかりと目を合わせ、優しい声で答えた。
「余裕がない時ほど、そういう時間が必要なんだよ。お前さんの心が疲れてしまったら、どんなに素晴らしいアイデアも生まれてこない。自然の中で何もしないことが、次の一歩を踏み出すための大事な準備になる。」
その言葉に、拓真は胸の奥がスッと軽くなるような感覚を覚えた。鶴見さんの言葉が、自分の心の中の霧を晴らしてくれた気がした。
「分かりました。やってみます。」
山の中での静かな朝 ― 霧が導く心の休息
翌朝、拓真はいつもより早く目を覚まし、「かめおか霧のテラス」に向かうことを決意した。スマホは家に置き、ただ自然の中で静かに過ごす時間を求めた。鶴見さんの言葉が胸に響き、そうした時間の大切さを今は深く理解できる気がしていた。
山道を歩き、徐々に標高が上がるにつれて、ひんやりとした空気が頬に触れた。川のせせらぎが彼を包み込み、鳥のさえずりが風と共に耳に心地よく届いてくる。その音たちが、まるで彼の中の雑念を一つずつ解きほぐしていくように感じられた。
霧のテラスに着いた時、拓真は息を飲んだ。そこには、かめおかの特徴である淡く揺れる霧が眼前に広がっていた。霧はまるで、街や山をそっと包み込みながらも、形を持たずに流れ続けている。それは、静かでありながら確かな存在感を持つ、不思議な美しさだった。
拓真は岩に腰を下ろし、何も考えずにゆっくりと深呼吸をした。視界の中で漂う霧は、まるで彼の心の中の混乱も一緒に運んでくれるかのように見えた。曇っていた頭の中が、次第に澄んでいくのを感じる。
「ここにある霧は、俺みたいなものかもしれないな…」
ふと思った。霧は形がなく、一定ではないが、それでも確かに存在している。そう、自分の悩みや迷いもまた、必ずしも解決しなくてもいいのかもしれない。ただそこにあることを受け入れることで、心は軽くなる。
自然が教えてくれる静けさ
拓真は、霧が山の稜線をゆっくりと覆い尽くしていくのをぼんやりと見つめながら気づいた。
「何もせずに過ごす」というのは、ただ手を止めることではなく、自分自身と向き合うこと。今まで無理に解決しようと頭を悩ませていたことを、一度手放し、自然の流れに身を委ねることの大切さだった。
目を閉じると、頭の中で渦巻いていた情報や悩みが、川のせせらぎと共に流れ去っていく感覚を覚えた。風が頬を撫でると、そのひと時だけでも全てから解放されたような静けさが心に広がった。
「こういう時間が、これからの自分には必要なんだな。」
心の底からそう思えた。
新たな視点の芽生え
しばらくして、拓真はテラスから立ち上がり、霧の中に隠れた山々を見渡した。かつて東京で抱えていた焦りや成果への執着は、まるでこの霧のように、一時的なものだったのだと感じた。無理に消そうとせず、自然の流れの中に任せることで、やがて晴れる時が来る。
新しいアイデアも自然と湧き上がってきた。
「地域の活性化は、何かを急いで変えることじゃない。もっと今あるものを楽しみ、それを大切にしていくことなんだ。」
霧のように一つの形にとどまらない発想が、これからのプロジェクトにも活かせるはずだ。焦る必要はない。少しずつ、無理なく進めていけば良い。それが自分と、そして地域との「持続的な生き方」になると拓真は確信した。
静けさの中で見つけた未来
テラスを後にする前、拓真はしばし立ち止まり、目の前に広がる霧をじっと見つめた。そして、自分に向かってそっと呟く。
「この霧も、いずれ晴れる。俺も、もっとゆっくり進んでいけばいい。」
再び歩き出した彼の足取りは、行きの時とは打って変わって軽かった。霧のテラスから下山するその道中、拓真は、何もせずに過ごすことがどれだけ大切かを、心の奥底で噛み締めていた。
風が亀岡の山々を吹き抜けるたびに、拓真の心にも新しい風が流れ込んでいた。これからも月に一度は、こうして「何もせず」に自然の中で過ごすことを、自分自身に誓ったのだった。