東日本大震災後の産婦人科医療支援:石巻赤十字病院での経験と課題
はじめに
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本の近代史上最大規模の自然災害となりました。この未曾有の事態に対し、全国各地から様々な支援の手が差し伸べられました。本記事では、京都大学産婦人科の浜西潤三医師による、宮城県石巻赤十字病院への産婦人科医師派遣の経験について詳細に解説します。
浜西医師は、阪神・淡路大震災の被災経験を持つ医師として、今回の支援活動に参加しました。その経験と洞察は、大規模災害時の医療支援のあり方について、重要な示唆を与えてくれます。
石巻市の被災状況
概要
石巻市は宮城県第二の都市であり、東日本大震災で甚大な被害を受けました。
人口:約16万人
避難者数:約11万人(約69%の住民が被災)
死者数:3,200人
行方不明者数:759人
最大避難所数:250か所
産婦人科医療施設の被災状況
石巻市内の産婦人科医療施設も大きな被害を受けました。
内陸部の病院:比較的被害が少なかった
沿岸部の病院:津波による甚大な被害
石巻市の年間分娩数は約1,200件で、そのうち石巻赤十字病院が約500件を担当していました。しかし、震災後は他の産婦人科施設がほぼ全滅状態となり、突如として年間700件の分娩が石巻赤十字病院に集中することになりました。
医療支援の開始
日本産科婦人科学会の対応
日本産科婦人科学会は震災直後から迅速に対応し、情報発信と支援要請を行いました。主な対象は宮城県の3施設(石巻赤十字病院を含む)でした。
京都大学からの派遣
震災から15日後、京都大学産婦人科の小西教授のもとに派遣要請があり、浜西医師と婦人科の松村医師の2名が派遣されることになりました。
他大学からの支援
東北大学:震災直後から1名の医師がボランティアとして派遣
昭和大学:関東地方から最初に派遣
石巻への道のり
交通手段
震災の影響で通常の交通手段が使えない中、以下のルートで石巻に向かいました:
伊丹空港 → 山形空港
山形 → 仙台(バス)
仙台 → 石巻(タクシー、約2時間)
移動中の状況
仙台から石巻への道中、甚大な被害の状況を目の当たりにする
国道45号線沿いの被災状況:道路脇に瓦礫や流された家屋が散乱
精神的ストレス:再び津波が来た場合の不安
宿泊先
日本産科婦人科学会が仙台市内にホテルを確保し、医療支援チームの拠点としました。これにより、過酷な環境下での継続的な支援活動が可能となりました。
石巻赤十字病院の状況
病院の概要
5階建ての新しい病院
耐震構造により、震災による大きな被害を免れる
582台収容可能な広い駐車場
ヘリポートを増設
医療支援体制
産婦人科医師:通常3名(実質2名)
支援医師:東北大学1名、京都大学2名、その他大学から順次派遣
合計6〜7名で対応
生活環境
産婦人科外来の処置室や診察室で仮眠
3月末でまだ寒さが厳しく(1〜2℃)、毛布を使用
医療支援活動の内容
主な活動内容
分娩の対応
外来診療
緊急手術の対応
産婦人科当直
1. 分娩の対応
1日平均4〜5人の分娩(最大9人/日)
未受診妊婦の飛び込み分娩が増加
管理されていない妊婦の分娩管理が課題に
2. 外来診療
最大63人/日の外来患者に対応(通常の2〜3倍)
ほとんどが市内の妊婦で、初診患者が多い
母子手帳の紛失や記載の消失などの問題
被災妊婦の健康状態
血圧上昇傾向(収縮期・拡張期ともに20mmHg程度上昇)
避難所での食事内容(塩分・糖分過多)の影響が考えられる
3. 緊急手術の対応
緊急帝王切開:2件
婦人科緊急手術:1件
4. 産婦人科当直
派遣医師チームが交代でファーストコール、セカンドコールを担当
地元医師の負担軽減に貢献
震災後の分娩数の変化
統計データ
石巻赤十字病院の分娩数データを分析した結果:
震災直後から分娩数が急増
1日平均分娩数:1.9人 → 3.9人(約2倍に増加)
年間換算で約1,500分娩ペース(通常の3倍以上)
対応の課題
通常1,400分娩/年の施設では、産婦人科医7〜10名が必要
3名の常勤医では対応が困難
継続的な医療支援体制
日本産科婦人科学会の取り組み
京都大学チームの後、東京大学、神戸大学、藤田保健衛生大学などが順次派遣
9月以降も派遣継続を決定
学会ホームページで被災者向け情報を発信
全国の大学病院の対応
がん患者や妊婦の受け入れ保証
妊婦の県外搬送受け入れ体制の整備
石巻の産婦人科医療の現状(2011年9月時点)
5産科医療施設が再開
セミオープンシステムの導入(外来は開業医、分娩は石巻赤十字病院で対応)
月間分娩数:70〜80件(年間800〜900件ペース)
東北大学や日本産科婦人科学会からの継続的支援
今後の課題と対策
短期的課題
地域医療機関の早期再開
避難所・仮設住宅での健康管理
地元医師の流出防止
ボランティア的支援から業務的支援への移行
妊婦健診や分娩施設の再開
産婦人科医不足への対応
中長期的課題
被災地復興計画に沿った医療資源の再配置
医療の集約化・センター化と過疎地域対策の両立
地域医療体制の再構築に向けた継続的サポート
国・地方自治体・大学・学会等による特別支援の継続
具体的な対策案
現地のニーズに合わせた支援内容の調整
支援者の健康管理(メンタルケア、被曝対策を含む)
被災地への関心と支援の継続
産婦人科学会による安全性情報の発信(放射線の影響など)
災害時の医療体制整備に向けて
医療機関としての準備
入院患者・外来患者への対応マニュアルの整備
緊急分娩への対応訓練
電子カルテ使用不能時の対策(紙カルテの準備など)
緊急時の受け入れ体制の事前構築
支援を受ける側の準備
支援医師の受け入れ手順の明確化
役割分担と指示系統の確立
継続的な意識向上
定期的な防災訓練と振り返り
過去の災害経験を風化させない取り組み
おわりに
東日本大震災から3ヶ月後、石巻市では「石巻川開き祭り」が開催されました。この事実を知った時、浜西医師は自身の中でも震災の記憶が薄れつつあることに気づきました。
大規模災害後の医療支援は、急性期の対応だけでなく、中長期的な視点での取り組みが重要です。被災地の復興には長い時間がかかりますが、私たち医療者には、継続的な支援と関心を持ち続ける責任があります。
この経験を通じて得られた教訓を、今後の災害医療体制の構築に活かしていくことが求められています。同時に、平時からの備えとして、災害時の医療支援に関する知識と技能を医療従事者や一般市民に広く普及させていく努力も必要でしょう。
最後に、この困難な状況下で懸命に医療を提供し続けた石巻赤十字病院のスタッフ、そして全国から支援に駆けつけた医療者の方々に深い敬意を表します。そして、被災された方々の一日も早い復興を心からお祈りいたします。
追記:災害時の産婦人科医療支援における重要ポイント
情報収集と共有の重要性
被災地の正確な状況把握
支援チーム間での情報共有
学会や行政との連携
柔軟な対応力
想定外の事態への対処能力
限られたリソースでの最大限の医療提供
心理的サポート
被災した妊婦へのメンタルケア
支援者自身のストレス管理
長期的視点での支援計画
急性期から慢性期まで切れ目のない支援
地域医療の再建を見据えた活動
多職種連携
産婦人科医だけでなく、助産師、看護師、薬剤師等との協力
行政、NGO等との連携
教育と訓練
災害時の産婦人科医療に関する専門的訓練
シミュレーション訓練の実施
倫理的配慮
プライバシーの保護
公平な医療提供
テクノロジーの活用
遠隔医療システムの導入
デジタル化された患者情報の管理と保護
コミュニティとの協力
地域のリーダーや住民との連携
文化的・宗教的配慮
継続的な評価と改善
支援活動の定期的な振り返り
フィードバックに基づく改善策の実施
これらのポイントを踏まえ、より効果的で持続可能な災害時の産婦人科医療支援体制を構築していくことが求められています。また、こうした経験を次世代の医療者に伝承していくことも、私たちの重要な責務といえるでしょう。
災害はいつ、どこで起こるかわかりません。しかし、私たちにできる準備はたくさんあります。この石巻での経験を糧に、より強固で効果的な災害時の産婦人科医療支援体制を構築していくことが、私たち産婦人科医療に携わる者の責務であり、同時に社会全体で取り組むべき課題なのです。
一人一人が、この問題の重要性を理解し、それぞれの立場でできることから行動を起こしていくことが、未来の災害に対する最大の備えとなるのではないでしょうか。
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