ツインレイ 無条件の愛(慈悲)
灯りをつけましょぼんぼりに~~~~。
今日は、ひな祭りですね。
さっき、お雛様を片付けましたw(早すぎ)
だって、今日片づけないと嫁に行けなくなるっていうからw
(どこに嫁に行くつもりなんだwお前は既婚者だ)
あ、ツインレイ美です。どうもどうも。
今日もまた、自分の備忘録的な内容です。
最後までお付き合いいただけると、嬉しいです。
(もしかしたら、ムカつくかもしれんがwそんなときは自己否定が走ってるときなので、速攻で読むのやめて、自分に優しくしましょう、マジで。あなたがこの世で一番最高だよ!)
今日は、さっき気づいた「え、今さらかよ!」っていう話。
ぶっちゃけさ、ツインレイ(自分)に向き合って気づくものって、いつも同じものなんだよねぇ。ただ、その深さが違うだけで。
向き合えば向き合うほど、自分の中心に向かっていくだけで。
で、おそらく、中心にたどり着いた途端に、自分と世界って、実は、無限だったんだって腹落ちするっていうオチだと思う、これw
だって、1と0と∞はイコールなんだものw
で、何に気づいたかって言うとですねぇ…
え~~~~~(私にとっての)ツインレイの統合ってのは、いわゆる「無条件の愛」なんだなぁって思った次第ですw
(何をアタリマエの話を…って思うかもしれないんですけど、体感で納得できたっていう話です。頭で理解してるのと自分の深いところから湧いてきて納得するのとでは、天と地との開きがあるんですよ、私にとって、ね。
頭で理解してるのは、私にとってはただの「知識を知っている」ですw
頭で理解=知人、体感で理解=友人、親友みたいな感覚)
あ、本題に入る前に、ちょっと話がずれますが、私にとって大切なお話を1つ。
愛ってあんまり好きな言葉じゃない(古来、日本語で愛っていうのは執着とか愛憎とかであんまりいい意味じゃないイメージが付いてしまってる)ので、慈悲っていう言葉に言い換えたい!
無条件の慈悲…なんか変だな。なぜなら、慈悲ってのは無条件が前提だからw
(私にとっての)ツインレイの統合は慈悲。
うん、しっくりくる。
閑話休題。
私たちは生まれてから今のいままでの蓄積で、「愛とはこういうもの」っていう定義を意識上や無意識下にたくさん持っています。
その定義は、親から与えられた物差しがほとんどで、他にも社会とか文化とかによって規定されています。
だから、自分の愛の定義とずれるもの(ツインレイとの関係)は「そんなの愛じゃない!」って思って、苦しくなるわけですわ。
えぇ、えぇ。
だって、おかしいもんねぇ。
心の底から愛しあえる(はずの)ツインレイなのに、自分の「愛」の定義に当てはまらないなんてw
私たちって、ツインレイじゃないのかしら、偽ツインレイなのかしら、あの子がツインレイで私は違うんじゃないかしら…(無限ループ&闇落ち)。
いや、そう思いますよね、普通に。うん、普通そう思うよ。うん。
で、これがツインレイプログラムの罠ってやつなんですよねぇw
(罠、何百個あんねんwwww)
ちなみに、私が持っている、「愛」の定義は
愛=一緒に居るもの
愛=分かち合うもの
愛=1人に向けたら、それ以外には向けてはいけないもの
愛=行動で示すもの
愛=相手の喜ぶことをすること
愛=コミュニケーションを取るもの
愛=相手を理解するもの
こんな感じです。
ツインレイの相手には見事に一個も当てはまりません。
(正確に言うと、相手はやってるつもりなんでしょうけど、私からするとやってないように見える、ですけどね)
ほんで、上記の「愛」の定義なんですけど、その最後には、全部この言葉が付きます。
それ以外は愛じゃない!
です。
一緒に居ないんだったら、愛じゃない!
分かち合えなかったら、愛じゃない!
1人に向けてそれ以外に向けたら、愛じゃない!
行動で示さなかったら、愛じゃない!
相手の喜ぶことをしないんだったら、愛じゃない!
コミュニケーションが取れないんだったら、愛じゃない!
相手を理解しようとしないのは、愛じゃない!
ってことっすね。
上記のような「愛」みたいなものを追いかけるのが、普通の恋愛っすね。
私も本当にそれを追いかけておりました。3年弱w(なげぇ)
でも、この恋愛の「愛」は条件付きなんですね。
こうだったら愛するけど、こうだったら愛しない。
上記のリストは、私が人間界で学んだ「愛」。
そして、私が本当に欲しいものは「慈悲」。
条件付きの愛(人間的な愛)は、私が本当のところで求めている「慈悲」(統合)ではないということ。
そして、ツインレイの関係では、上記のような(人間的な)「愛」の関係は一切、成り立たない。(ように、作られている)
自分の思っている「愛」が欲しい!と思えば思うほど、ドツボにハマる。(ように、作られている)
だから、ツインレイは苦しいって言われるし、究極の学びだって言われるし、統合したら人間卒業って言われるんですねぇw
そりゃそうだね。人間的な愛を超越するんだから。(人間卒業って、もしかして、神様にでもなるのかなw)
私は条件付きの愛、がヒドイ環境で育ちました。
なぜなら、慈悲(無条件の愛)に到達するためには、到達してない状況が必須条件だからw
いい子だったら愛される、そうじゃない場合は怒られる。
(母親が不機嫌になる)
こうやって俯瞰して観ると、肉体を持ちながら、慈悲(無条件の愛)に到達することを愉しみたくて、私はツインレイプログラムを選んだんだなぁと思った次第です。
(なぜ、こんなつらみなプログラムを選んだんだ、私よ…え、何?その分喜びがでかいから?ただの欲張りかよ。マジで勘弁して〜w)
そう考えると、「条件付きの愛」だけをバリバリくれた親にも感謝の念が湧くっていうねw
だって、それがなかったら、この究極の慈悲の体験はできなかったのだから。
あぁ、なんてありがたい。
ちなみに、ツインレイは自分なので、相手に慈悲(無条件の愛)を向けられるってことは、自分にも向けられるってことですw(ここ、超大事!テストに出るよw)
私、昔、この世のすべては愛なんだ!って言ってる人(ツインレイの相手w)が気持ち悪くて気持ち悪くて、アホじゃない?って心の底から思ってたけど、それは真実なのかもしれない。(っていうか、多分真実wでも、ツインレイの相手は体現してないから、口だけで気持ち悪いのは変わらない)
そんなことに気づいた朝でございました。
うちのお雛様は嫁に来るときに、母が持たせてくれたものです。
なんか、こういうのいいよなぁ、と思いました。
大手広告業界で働いてたバリキャリで、節句なんてやってられっか!って24時間戦ってた頃には想像もできなかった感情でした。
おわり。