僕の今のちょっとした悩みのようなもの



夫婦喧嘩をしたことがない。
結果はわかっているからだ。


僕は30の時に結婚して14年目の現在43歳。

最初の方のnoteの「僕が娘と〜」を読んでくれた方は覚えているかもしれないけど、うちの嫁は鬱を15年以上前から発症している。

僕が初めて会った時にはすでに重い状態で、ものすごい数の薬を飲んでいた。

当時の僕は病気について無知だったけど、今よりかなりポジティブで、僕がきっと治せるって思っていた。

本を何冊も読み、ネットで調べ、自分なりに病気に関して勉強した。

結果から言えば、今も全く治っていない。

元々、鬱というのは、治る人の9割程度が発症して1年以内の事が多いらしく、長く続いている人が治るのは稀な病気だそう。

正式な発表はされてないけれど、皇族の方もいまだ治ってないのは、治療法が悪いとかそういう問題ではないってことですね。

嫁は子どもが欲しかったため、そのために薬を自らの意思でやめた。
一度きりの人生、それを尊重したかったし、リスクがあるのは嫁の友達の看護師からも言われていたので、承知の上だ。

それももう10年以上前になる。


全く鬱と関わって来なかった人は漠然としたイメージがあると思う。

心の病気だとか、頑張ってって言っちゃダメー
とかね。
僕も15年以上前、そのくらいの知識だった。

だけど、心の病気というのは違う。
司令を出している脳の病気だ。

心の病気と捉えられてしまうと、気持ちを強く持って!がんばって!
となってもおかしくないし、世の中そう思ってる人はめちゃくちゃいる。

その気持ちを強く持つ司令を出せないから、そういう状態になっているのだ。

けれど、脳の病気だとだけ思うのも良くないとも思っている。
言ってることが、矛盾しているけれど、これはサポートしている人ならなんとなくわかってくれるんじゃないかと思う。

病気として冷静に見る時は脳の病気だと理解し、対応する時は心の病気なのだという意識がある。

そして症状や状態、元々の性格に個人差があるので、こればっかりは知識では埋まらない。

鬱になったから、性格が変わるってことはなく、元々の性格に鬱状態が上乗せされているって感じなのだ。
だから、鬱には共通項も多いけど、ダメな言い方や、行動には個人差がすごく出ているはず。

たとえば、うちの場合、「がんばって!」という言葉は禁句ではない。
その時の状態によるのだ。
調子も状態も少し良い時は、単純に励ましの言葉となる。
しかし、調子や状態が悪い時は絶対に使ってはいけない言葉となる。

それは追い込みの言葉となるからだ。

同じ言葉でも違う言葉になるから、わからない人は使わないほうが無難て意味で、世間では使っちゃダメってされてるのだろう。

こちらも個人差あるけど、鬱は他人が見抜くのは難しいことが多い。

なぜなら、一人きりの時や、とても近しい人の前だけしかその姿を見せないことが多く、他人の前では踏ん張っているため、ぱっと見ではおそらくわからないことが多い。

似たようなもので双極性障害というものがある、通称、躁鬱と言われているもの
双極性にも1型と2型があって、よくテレビなんかで描かれてるのは1型のほう。

2型はこれまた普通ではわからない。
こちらも2型については、本も数冊買い、それなりに勉強したので、ある程度理解しているつもり。

友達が2型なのだが、躁状態でも、普通に楽しそうにしてるくらいで、普通の人がわかるわけないのだ。

治療に使われる薬も少し違っていて、こちらは抗うつよりも気分を安定させるものを使って治療することが多い。
気分の抑揚を抑えるような感じですね。

本題に入る前になぜこんな説明したかというと、何も勉強しないで悩んでるわけじゃないってことを言いたかったんですね(笑)

別に落ち込んでるとかじゃなくて、どうしたものかねーっていつも思ってることをちょっと書こうかなって感じです。

うちの娘は、しょっちゅうというか、毎日怒鳴られてます。
そりゃ怒られるよねって事から、それは怒られるほどじゃない、もしくは怒られてる意味がわからないことまで。

この怒鳴る声が全部一緒なんです。
正直通報されちゃうんじゃないかくらいの声なので、たまに心配になります。
もちろん虐待なんてしてないですよ、叩いたりもないです。

元々の嫁の性格が正義感のあるお世話好きな短気タイプ
僕は、適当だけど、それなりに真面目な気長タイプ

僕の本心としては、怒るにしても、強弱がないと、何が本当にいけなくて、何ならいいのかが本人わからなくなるので、
なるべく怒鳴るというのは、一番やっちゃいけない、たとえば命の危険のある飛び出しだとか、そういう時にしてほしいんですね。

ほぼ毎日の育児と、自分の左半身の麻痺による物事がうまく進まないイライラがストレスをさらに強くしているのだと思います。

問題は、少しこうしてほしいなって思うことが言えないところなんですね。

いや、言えよっていう人多いと思いますけど、それこそ冗談抜きに嫁の命が関わってくるのです。
それとそれを少し言ってみる時間も難しいのです。

たとえば、朝に言った場合、それで落ちた場合、自分が会社に出社できなくなります。

夜の場合、今度は二人とも寝れなくなります。

休日の場合、1日がそれによって暗いまま終わります。

このようにほぼいつでもダメなのです。

経験上95%以上落ちます。
これは言い方の問題ではありません。
他の意見は全て自己否定→自己の存在意義否定ととらえられてしまうからです。

たとえば1+1=2です。
これは何があっても絶対の答えです。3になることはありません。
このようなものの場合は、落ちません。納得するからです。
それ以外のものに関してはダメなのです。

育児だけの問題ではなく、全ての問題に対しての話なので、そこをゆるやかにおだやかに納得させるのが非常に難しいのです。

喧嘩をしたことがないというのは、つまりそういうことです。僕の言葉で簡単に殺すことができてしまうからです。


最近では神田沙也加さんが亡くなられました。
言葉の刃で苦しんだ気持ちがすごくわかるので、悲しくて仕方なかったです。

だからこそ、自分の意見を言えないでいるのです。
絶対に正しいと思うことでも、言えないことが多いです。
言ったあとの未来が想像できてしまうから。

先ほど言ったように、だからと言って落ち込んでるわけではありません。これがどうしたもんかねーってことです(笑)

僕はね、結婚以来初めて一人で大阪旅行したりできた(許可を得てね)し普通に元気です。

別に嫁もいつも通りです。なんかあったわけではありません。

日常の思っていることを少しツラツラと書いてみただけのnoteなのです。

同じ立場の方がいたら共感してもらえるかもなって感じです。

追記
あらためて読み返すと、僕の性格や本質を知らない人が読むと、この文章を部分的に見て、言いたいことが曲解されてしまう気がします。

もっとわかりやすく直すことも考えたけれど、別に僕を知っている人なら、この文の本質をわかってくれると信じているので、そのままでいいかなってことでやめました。

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