僕と麻雀



これまた電車で暇なので、今日は僕の麻雀人生を書いてみようかなと思います

これを書いてる現在は42歳、今年43になります(え、もうおじさんじゃん)

娘も5歳になって、最近はあまり打ってませんが、以前はまあまあ打ってました

14歳で家族麻雀で初めて麻雀に触れて、高校の時に本格的に覚えました
17で雀荘で同級生たちとセットデビュー(当時は制服でもほら、緩かったから)

18で初めてフリーデビュー
場所は習志野

専門学校を卒業後はスロやパチで生活をしていました
その頃に初めて麻雀プロという存在を知りました

津田沼のフリーの女神という今はもうない雀荘です
初めて見たプロが、当時連盟に所属していた、高橋、丸山の両プロ、そして石田めぐみプロでした

そして、さらにここにいたのが、うにみそさんでした
少し前にご結婚されましたよね、おめでとうございます

彼女はそこの看板娘的メンバーさんで、すごく可愛らしかったのを今でも覚えています

当時はまだ麻雀もダブリー一発出あがり見逃して、一発でツモるくらいにはお茶目だったんですが、後に同じく連盟のプロとなります

その店にお客さんで来てたのが、のちの松戸にあったなすびぃの店長とメンバーになるSさんとKさん
僕の中では初めてめちゃくちゃ強いと感じた相手でした

たまたま高校の同級生とSさんが大学の友達で、それもあって、なすびぃには長く通うことになります

そこにいたのが、今の将王ことμの木村プロをはじめ、三原プロ、草場プロ、稲毛プロ、下出プロ、そして週一で教室に来てた忍田プロ
協会の吉田プロ、初代店長の101の西プロ、申し訳ないことに名前忘れちゃったけど、実はまだまだいました

今名前あげた人たちは実は全員大きいタイトルを取っています、通い始めた最初の頃は木村さんと三原さんと忍田さんくらいしか、たしかまだ取ってなかったので、すごいことですよね

今でも一線で活躍してるのを嬉しく思います

当時の麻雀雑誌の表紙は、ヨーコ会長とか杉村えみさんとかがよく見かけました、時代ですね

忍田さんが打ってたりする時に後ろで見たりしてたんですが、それはそれは当時から強かったです
僕が初めて、はっきりとかなわないなって思ったのが、木村、忍田、三原プロでした、全員認定プロだし、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、強かったですね


そして、その後、モバゲーというSNSを始めて、僕が名前の後ろにも@つけてる四川という麻雀サークルに出会います

そこに入って思い知らされました、麻雀めちゃ強い人だらけじゃん!と

簡単に言うと、女の子以外はフリー強者集団て感じですかね
卍、さとう、という二人を中心に作られたサークルで、何切るの中身も当時としてはだいぶ高度な内容でした、今ならそうでもないのもあると思いますけどね

清張、あんどー、リンク、ブエナビスタ、徹也、しん、ちゅうた、矢田、言成、園長、けいぴぃ、リズム、まめぞう、レバニラ、はるか、しゅう、きゃにくん、もーじゅー、すえこ、くるー、くにのし、梅林
書き込みの多かった人を思い出すだけ書いてみたけど、いまだにTwitterにいる人も半分はいますね

紹介制のため、普通の人は入れなかったんですが、のちにプロとなる山田数馬プロ、安斎瞬プロもいました

清張さん主催のサークル匠にも僕は所属していて、ほとんどの人が両方に入っていました

そういう関係で匠に長いこと行ったりしています、もう余裕で十年以上ですよね

匠で出会った人たちもたくさんいるし、このサークルも元々紹介制だったのですが、今ではツイッター関係からプロアマたくさんくる
セットサークルって感じになりましたね、機会があれば僕もいます


人生ベタオリことフルゼンツなんかも、わがはいというモバゲー内の最大麻雀サークルでその頃から強さじゃないとこで有名でしたね

なんか漠然とツラツラ書いてて、着地点が全く見えなくなってきたので、電車降りるとともに、麻雀での出会いみたいになっちゃった文を終わりたいと思います笑


麻雀取られたら、俺は知り合いがいない説!
娘がやっぱり好き!

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