過保護かなって思うこと
千葉にある成田夢牧場に今年のゴールデンウィークに行きました。
昼過ぎから雨が降ってきたために、結果的に早めに帰ったのですが、釣り堀コーナーみたいなところで、やらせてあげれなかったんですね。
にゃにゃ釣りやりたかったのにー!
とさんざん言われましたが、土砂降りで雷まで鳴り始めたので、さすがに無理だったのでそれは仕方なかったのですが。
最近、その出来事を思い出して、釣り堀みたいのに連れてったら喜ぶかなー、調べてみようかななんて考えているのです。
釣りは僕が子どもの頃にちょこっと池でやった記憶がある程度で、素人なので、全然わからないんですが、そこでこう考えちゃうんです。
きっと喜んで釣り堀行くんだろなー、そしたら、また釣り行きたいとか言うんだろな。
あれ?待てよ、もしその楽しかった記憶が強く残ってて、小学校上がった後くらいに、友達と近くの川とかに勝手に行って釣りごっこみたいなのやったら怖いな。
おそらくこれは考えすぎな気がします。
しかし、うちの子は女の子だけど、男の子寄りの遊び方をするタイプです。
もちろん今まで水に溺れたこともありませんし、川が危険な事も知りません。
行ける範囲に川があって、近付くことができてしまう。
どんなに危険だよと教えても、体験したことのない危険さは子どもにはわかりません。
先日、9歳の男の子が親の目を盗んで、車の鍵を取って、一人で運転して事故を起こしたというニュースを見ました。
これなんて例外中の例外だと思います。
だけどね、例外中の例外が起こってからは遅いと考えちゃうんです、何よりも大切だから。
大人に近づけば、色々な危険なことは、経験してなくてもなんとなくわかるようになります。
それからでもいいのではないか?
しかし、子どものチャレンジ精神を親がそんなエゴのようなもので、奪っていいものなのだろうか、自分が子どもの頃はもっと危ないようなことやってたじゃないか。
なんてことを頭の中でぐるぐる考えてしまうのです。
もっともっと小さい頃は、坂道の下りはスピードがついて転びやすいことをわからせるために、わざと芝生の坂を走らせて転ばせたりしました。
熱いものは火傷することを知ってもらうために、わざと、手をちょっと触らせて熱いことを確認させたりしました。
でも池や川なんかはそういうわけにはいきません。
同じ水でもプールなんかとは違うことを知らないままなのです。
子どもは大人が思っている以上になんでもできます。なんでもできる反面、なんにも知りません。
自分の中のジレンマはただの過保護なんだと思います。
でもね、それが親だと思うのです。
娘がやりたいと思うことはなんでもやらせてあげたい。でも命に関わることだけは、どうしても怖いんです。
今回の釣り堀なんかは大袈裟なたとえなんですが、他にも似たようなものがあると思います。
これは女の子だからなんですかねー?男の子だったら思わないんだろうか。
でもやっぱり楽しそうにしてる笑顔が見たいから、いつか連休の時にでも行こうと考えています。楽しんでくれるといいな。
お魚釣るの上手くなるのはいいけど、男の子釣るの上手くなるのだけはやめてよね!
パパより