いつもきっと向かう先は保育園
ほとんど毎日のように家から駅へ向かう途中の道ですれ違うパパと男の子がいる。
同じ時間に同じ道を通るし、自転車じゃなくてベビーカーなので、すれ違う時間に可愛くてつい見ちゃう。
多分、1歳いってないくらいの頃から毎日のように見かけるので、父子家庭なのか、パパが保育園に送る役目なのかはわからないけど、顔でわかる。とても優しいパパなのだと。
いつもいつも、声をかけながら歩いてる、もうこれだけで、優しいパパなんだなってわかる。
そんなことでわかるわけないって思う人もいるかもしれないけど、外でずっと声をかけながら歩いていくのは、地味にすごいんだよね。
僕は娘がどうしようもないほど好きだけど、それでもベビーカーの時にずっと声かけるほどではなかった。
安全な道なら、考えごとをしながら歩くこともあるし、何も考えてなくても、無言で歩くこともたくさんあった。
このパパが無言で歩いてる姿はほとんど見たことがない。
いつも、すごく優しい言葉をかけている。
内容までは聞き取れないけど、語尾や言い方でわかる。
それがほぼ毎日なのだ。
すごくすごく愛しているのだとそれだけでわかる。
雨の日も、風が強い日もカッパ着て、いつも同じように声をかけている。
たとえママでもなかなかできないことかもしれない。
育児は1日や2日、1週間やったからと言って、大変さやつらさはわからない。
1か月、3か月、1年とやって初めて、自分の時間もほとんどなく、毎日継続する育児のすごさがわかる。
僕は生後3か月から6か月過ぎくらいまで嫁が入院していたため、いわゆるワンオペをせざるを得ない状況だった。
会社を休み、つきっきり。
生まれた頃から、わりと積極的に育児してたので、一通りできるのは良かったけど、さすがに毎日つきっきりというのは、その時期が初めてだった。
3か月の頃までは、寝かしつけだけはほぼまかせっぱなしだったため、毎日寝かしつけるのに苦労した。
部屋の電気を全部消して、無音の状態で、立って抱っこして子守唄ぽいのを口ずさみながら、少し揺らしながら寝るまで待つ。
1時間ほどして、娘がうとうとしても、ベビーベッドに寝かせようとすると、背中スイッチが発動してギャン泣き。
また一からやり直しである。
なかなか寝ない子で、いつも2時間近くかかっていたのを思い出す。
天鳳を急にやらなくなったのがその時期だった。
退院の時期が見えなくて、本当に大変だったし、この寝かしつけを入院するまで、ほとんどまかせていたことに罪悪感をすごく感じた。
そんな当時の記憶を、このパパたちとすれ違う時にふと思い出すのです。
あー、僕はこんなにいいパパではなかったな、もっとこんな風に声かけてあげれば良かったなって思う。
娘はそんな頃のことなんか覚えてるわけがないので、娘のためというより、自分のためなのだ。
そんなパパと男の子に今日もすれ違った。
走っている!男の子が走ってる!
初めて走ってるところを見て、ものすごく感動した。
手を引かれて歩いてるのはちょいちょい見たけど、ベビーカーをいつも押しながらだったりしたので、走るというのを想像していなくて、びっくりしてしまった。
僕は挨拶どころか、会釈もしたことのない親子。なのにすごく親近感がある。
いきなり声かけたら、ただの変質者だから声はかけないけど。
僕の娘は4月から小学生
もうほとんどのことは自分でやるし、うんちだけ拭けないので、それはまだやってるけどね(笑)
一緒に遊ぶのは育児ではないので、育児やってるかと言われたら、今はほとんどやってるとは言えないと思う。
それくらい大きくなったのだ。
このパパもニコニコしながら、声かけながら、歩いているけれど、絶対大変なはずだ。
僕はその姿を見て、いつもしっかりしなきゃなって、反省している。
よう、おかー(おかえり)
帰って3秒で正拳突きが腹に飛んでくる。
…やっぱり反省しません!娘よ、反省するのは君だ!!パパに優しくしてくれ!