なぜ「えっちなの」は、いけないの?
「えっちなのは、いけません」
そう言われると、何となくそうだよねという気もする。真っ正面から反論しようとしても、なかなか大変だ。
でも、よく考えたら「なんで」いけないんだっけ。
セックスそのものは禁止されていない……というか、セックスがないと人類が滅んじゃう? でも、ビデオやマンガなどで「わいせつな表現」をするのは、法律で規制されている。
それって、なんでなんだっけ……。疑問を探っていくと、そこには長い歴史がありました。
「日本には、もともと性に関するタブーの発想がありませんでした」
こう語るのは、法政大学准教授の白田秀彰さん。
白田さんはことし、えっちな表現はいけない、というルールがどう生まれ、どう変遷してきたのかをまとめた本『性表現規制の文化史』(亜紀書房)を書いた。
「えっちはダメ」という発想は、日本でいつ始まったのか?
答えを先にいうと、それは「明治維新から」だ。
幕末、軍事力で開国を迫られた日本は、西洋諸国に追いつくため、西洋化を推し進めた。洋館を建て、洋服を着て、ダンスパーティを開いた。
「明治維新で日本は、西洋のシステムを無理やり輸入しました。そのとき、それと一体になっていたキリスト教的な性観念も、一緒に入ってきたのです」
キリスト教的な性道徳といっても、ひとくちには想像しにくい。ただ、このとき輸入された価値観は、かなり「上品」に振り切ったものだった。
明治維新が起きた1870年代のヨーロッパは、ヴィクトリア朝の時代。つまり、貴族がこぞって上品であることを競い、性道徳が最も厳しい時期だったのだ。
一方で、日本の庶民には、盆踊りで乱交するような風習も、まだ残っていた。
そうなると、西洋諸国に「立派な国」と思われるためには、そういう風習は、どうにかしないと……という発想になる。
白田さんは著書でこう述べる。
国外からの視線に対しては、外国人に「日本人は、キリスト教徒ではないけれども高い道徳を備えている」ことを説明し宣伝するため、国内においては近代国家と国民皆兵のもとで、いっぱしの国民を育てあげるため、というわけです。
(『性表現規制の文化史』より)
明治新政府は、列強諸国とわたりあうために国民皆兵を導入。庶民も武士のように、「上品な」振る舞いが求められるようになった。
キリスト教系の女子校から広まっていく価値観
一方、女性には、別の経路で、キリスト教的な価値観がインストールされていった。
「明治政府は、女子教育をそれほど重要視していませんでした。そのため、女子の高等教育の多くは、キリスト教系の私立学校が担ったのです」
「女子教育の受け皿が少ないので、お嬢様がみんなキリスト教系のミッションスクールに行くわけです。そこで、これからの女性はえっちなことをしてはいけませんと教えられる」
こうして、キリスト教の規範に基づく「純潔」や「愛」の価値観が、まずは女子高等教育に浸透した。ここを起点に、家庭などにも広まっていったのではないか、というのが白田さんの考えだ。
一般にも浸透していく……
さらに大正期には、この価値観は都市部や学校教育の現場で一般化してくる。そして戦後、高度経済成長期になると、日本人の感覚となっていった。
キリスト教国ではない日本で、どうしてここまで広まったのか……。
「みなさんもそうだと思うんですけど、みんな自分が生まれ育った環境を基準に、ものごとを考えるんですよ。Twitterなんかで繰り広げられている議論を観察していてもわかりますが、調べないで書き込む人が多いですよね。自分の知ってる範囲で判断しちゃうんです」
「『えっちなのはいけないと思います』も、お父さんもお母さんもおじいちゃんも言ってたから、と疑わない」
世代を越えて受け継がれ、いったん定着すると、それを根本から疑ってみよう、というふうには、なかなかならない。
では、日本に伝わる前、欧米で「えっちなのはいけません」という価値観は、なぜ生まれたのか。
白田さんはこう分析する。
「えっちなのはいけない、という価値観の元には、キリスト教があると、私は見ています。キリスト教の教祖イエスはえっちなしで生まれた超人です。えっちはよくないということにした方が、聖母マリアやイエス・キリストの特別感は高まります」
もともとは宗教に根ざした価値観だった。しかし、白田さんによると、その「えっち=ダメ」というコンセプトは、さまざまな形で政治的に利用されてきた。
例えば相続の問題
「ヨーロッパの上流階級では、『相続』が大きな問題でした。子孫が数多くいると財産の継承をめぐって紛争になりやすい。正式な結婚から産まれた正統な継承者を明確化する必要があった。そこでとくに女性について『結婚まで処女であるべし、結婚しても婚外のえっちはダメ』という価値観すなわち純潔が強調されました。男性についても婚外でのえっちはトラブルの種とみられていました」
「こうした財産上の問題から発生した性規範を宗教上の規範と結びつけながら、教会は家族関係だけでなく財産関係も支配していったのです」
つまり、相続問題を解決するため……お金のために、えっちは規制されたというのだ。
「もともとは純粋な宗教上の価値観だったものが、ヨーロッパの歴史の中で、それが社会を統制する政治権力と結びつくことで、階級的な秩序を守るための規範として政治的に利用されていったのです。近代になって宗教の力が弱まったあとにも、『えっち=ダメ』というのは『市民道徳』として秩序の維持に利用されてきました」
白田さんは続ける。
「1800年代頃から1920年にかけての婦人参政権運動のときには、キリスト教系の婦人団体が『えっち=ダメ』という価値観を利用しました」
「彼女たちは、キリスト教の教義を前提として、飲酒もせず性的に堕落していない女性は、男性よりも倫理的に優位だと主張しました。そうして女性の地位向上を目指したのです」
このように、「えっち=ダメ」という価値観は、何らかの政治的な目的を達成するために主張されてきた。「道徳や品位は後付けだった」と白田さんは言う。
そして表現規制へ
この延長線上で、アメリカでは「えっちな表現の規制」を求める声が、宗教団体や婦人団体などによって高まっていった。
アメリカでは、1800年代に表現規制のルールが次々とできていった。
一方、1960年代になると、「表現の自由」を重視するアメリカでは、性表現規制を見直す動きも本格化してきた。
そもそも『性的な表現はダメ』という規制に、どんな根拠があるのか。性的な表現に何か害悪はあるのか……。
これに対する、アメリカ連邦議会の答えが、1970年の「猥褻とポルノに関する大統領諮問委員会報告書」だ。この報告書の結論は、「大人が見たいと思って見る分には無害」というものだった。
大人は見てもOK。判断力があれば大丈夫。この明確な結論をうけて、大人向けの性表現についての規制論は、力を失っていった。
一方で、この報告書では、未成年への影響については「結論を出すには十分な証拠がない」とされた。未成年に対して調査すること自体、そもそも倫理的な問題があるとして、実施されなかったのだ。
そのため、「青少年の保護」を理由とした表現規制は、いまだに残っている。
「証拠はなかったのですが、多くの大人が、子どもはえっちな表現に触れるべきではないという意見を持っていたために、未成年者保護の名目での規制が容認されました」
政治的な影響力を持ちにくい青少年への規制は、「しばらく続くだろう」と白田さんはいう。
大人もダメなまま、の日本
一方、日本では、大人向けであっても「わいせつな」表現は、刑法175条で規制されている。ただ、何が「わいせつ」にあたるかどうかについて、はっきりした線引きはない。
最高裁の判例では、3要件を満たすものが「わいせつ」とされる。
いたずらに性欲を刺激・興奮させ、
普通人の正常な性的羞恥心を害し、
善良な性的道義観念に反する
ただ、この基準をみても、何が「わいせつ」で何がそうではないかを誰かが判断するのは難しい。裁判でも、何がアウトで何がセーフかの判断は分かれる。その判断は、時代によっても変わってくる。
1990年代にヘアヌードが「解禁」されたのは、刑法が改正されたからではなく、社会の空気が変わったからだった。かつては「わいせつ」とされた小説が、いまでは普通に売られている。
そして、性表現規制は、ここにきて「インターネット」という大きな変化に直面している。
「インターネットの発達によって、今は未成年も過激な性表現のあるコンテンツを見ることができるようになりました。しかし、様々な統計を見ても、インターネットが発達する以前と比べて、性犯罪が増えているどころか、若者たちが性行為から離れているという傾向が見てとれます。なぜ性表現の規制が必要なのでしょうか?」
白田さんはこう問いかける。
いま、過激な性表現を国民の目に触れさせないためには、国を挙げてネットを遮断するしかない。だがそれは、国民の「知る権利」や「表現の自由」を大きく制約することになる。そこまでする必要があるのだろうか?
性表現規制を大きく支えているのは、「えっちはダメ」という価値観だが、歴史を振り返ると、この価値観が「絶対的に揺らがない」というわけでもなさそうだ。
子どもが生まれすぎて困っているわけでもなく、国際的な上品競争に勝たなければならないわけでもない現在の日本で、「えっちなのはいけない」という価値観はどこまで必要なのだろうか?
そして、「他人に迷惑をかけるのはダメだけど、えっちなことそのものは悪くないのでは?」と考えるなら……はたして「性表現」を規制する根拠は、どこにあるのだろうか?
白田さんは「性的なものはダメという、『特定の価値観が正義である』という人たちには、何のための規制なのかという目的を考えて欲しいですね」と話していた。
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