九龍城砦と現代東京
先週、日本で公開になった『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を、映画館へ見にいった。香港映画。香港では昨年2024年に公開されて、とてもヒットしたよう。原題(広東語)は『九龍城寨之圍城』で、英題は『Twilight of the Warriors: Walled In』らしい。邦題がダサいような気がするが、、内容はとても面白かった。ぜひご覧になってください。
この記事では特に映画の内容には極力触れないで、この映画の背景や鑑賞後に感じたことを書こうと思う。
香港は中国広東省深圳市と隣接する「特別行政区」という不思議な場所で、アヘン戦争後の南京条約(1942年)で中国がイギリスに割譲した香港島、第二次アヘン戦争後の北京条約(1960年)で再び中国がイギリスに割譲した九龍、さらに1898年の不平等条約でイギリスが中国から租借した新界という三つのエリアからなる。新界の租借期限を迎えた1997年(99年後)に、香港島、九龍、新界はまとめて中国に返還された。
九龍城砦という単語については、九龍と城砦に分けることができるので「九龍にある城砦」と理解するのが普通っぽい。しかし、九龍城砦の地はイギリスに割譲した九龍には含まれておらず、新界の租借まで九龍城砦は清朝(中国)の領内であり、そこには清朝の官吏が滞在していたらしい。そうした背景から、租借条約では九龍城砦に対して清朝の管轄権が温存され、新界の租借後も九龍城砦はイギリスに脅かされない特殊な地区となった。実際には両国の支配から離れ、法的な空白地帯が生まれたようで、次第に犯罪組織、貧困層、国民党敗戦後の大陸からの難民などが集まりスラム化した。
以上が陳洛軍が流れ着いた九龍城砦だ。
映画は、九龍城砦の積みに積み重なった違法建築の軒の上に、陳洛軍や信一たちが立ち、そこから、急速に変わりゆく香港の街並みを眺めるシーンで終わる。彼らは、命をかけて守った彼らの「家」が、政府によって直に取り壊されてなくなることを知っている。中には麻薬はあるわ、衛生状態は悪いわ、身分証のない輩はいるわで問題山積なのは分かる。しかし同時に、中には美味しい叉焼飯、点心、理髪店、駄菓子屋、食堂、なんでもある。一見無秩序に積み上げられた違法建築の中には、人のコミュニティがあり、それを守ろうとする人がいて、社会秩序が存在する。まさにそこに住む者にとっては唯一の居場所であり、帰るべき家である。
今、私は東京に住んでいるが、どうだろう。新宿、渋谷、池袋。随所にその街の残り香を感じはするものの、どこに行っても似たような商業施設、なるべく人に長居させない排除的設計の名ばかり公共スペース、真新しく綺麗で孤独なマンションたちで埋め尽くされている。ニュースを見れば、闇バイト、立ちんぼ、東横キッズ、非婚化、静かな退職など、実家にも職場にも居場所のない若者達の孤独の吹き溜まりが雨後の筍のように表出している。戦後、都市人口は増え続けた。急速な科学技術の発展と人口増加を武器にして、なるべく快適で幸せな社会をみんなで目指してきたはずだ。先人たちの弛まぬ努力によってたどり着いた2025年の東京は、人に安心感と休息を与え、明日の力の源となる「帰るべき家」を全員に用意できているだろうか。私たちは、陳洛軍のように、自分の命をかけてでも守りたい場所を持っているだろうか。
「正しさ」というのはおそらく合理的に全員が納得する先にはない。だから何が正しいとか正しくないとか一般論を突き詰めても自分を見失う。自分を大切にしてくれる人、居心地のいい場所、なくなったら困るもの、そういうものを探して、見つかったら大切にして、奪われそうになったら戦う。これでいいと思うのだ。
日の当たる場所で暗い顔をするよりも、日の当たらない場所で笑っていよう。陳洛軍たちのように。