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私からワタシが居なくなる前に
日々4人の母として生きている私には、
いつも心の余裕がない
正しく言い直すと
4人の子供が居るはただの言い訳だ。
10人子供が居てもしっかり自己肯定感高く強く生きておられるお母さんたちもたくさんいるだろう
4人は年齢も違うし、性格も違う
それぞれ抱えている問題やスケジュールも違う。
そこに1人1人にきめ細やかに寄り添おうとしていれば、自然と自分の時間なんて確保できない
母としての私ではなく、ワタシ個人について20年近く考えない日々を過ごしていたら、ある日ふとワタシ自身の事を考えた時、自分が何者か?分からなくなっていた。
食事面をしっかりしていれば正直関与を全くしないという選択肢もある
自立心が育つだろう
でも、多分タラレバなのだ。
結局育児は後ろ向きでしか自分に評価ができない
今私がしている子育ては、多分5年・10年後に、あぁ、あの時思い切って子離れしといて良かったとか、
あぁ、あの時踏みとどまって一緒に日々子供と過ごせていたから今が良い結果になったとか。
話は少しそれてしまったけど、今の私は子供にまだ関与している
小学生から大学生まで全員だ。
関与している半分、
子供達も私が居てくれている
今日あった話を聞いてくれる
それについての
私からの意見を待っている
節もある
自身を振り返ると
母とゆっくり話をした記憶があまりない
末っ子だったので、母も忙しかったのかもしれない
気がつけば、お金に関係ない大抵の事は自分で解決してきた。
だから今、自分の子供達があまりにも色んな話を私に話してくる事に驚きつつ
あぁこの子達は、要領はびっくりするくらい悪く、でも今を生きているんだな
こうやって、人は大人になっていくんだなって、たまに我が子を俯瞰的に見ながら私は楽しんでいる。
そう、
なんとなく自分が産み0から関わって作ってきた家族が今やっと出来てきたなって感じている。
元来、ワタシの好きな事は
学生時代スポーツをしてきたにも関わらず、
じっと家で本を読んだり
その光景を頭の中でイメージしたり
絵を描いたり
細かい作業をチマチマとしてみたり
切ったり貼ったり
好きな音楽を聴いたり
する事だ
正直、昔から友達は別に居なくてもよくて
でも尊敬する人と刺激を与えてくれる人はいくらでも欲しい。
今は大人になり
社交的にと心がけているけど
知らない人は信用できずに
いまだに他人に心はすぐに開かない
そんなとても気難しいワタシのテリトリーに土足で踏み込んでくる、そしてワタシを信頼して心を開いている子供達は一体何者なんだろう?とたまに思う。
人生預けるくらいの信頼関係なんか、たった数ヶ月では得られない
きっと、これがワタシがしてきた証なんだ。
私はワタシに自信持っていいんだ。
またいつか私からワタシが居なくなる前に
書き留めておこう
ワタシの事を