大事な記憶が欠けている
じんるいには「これが大好きだ」と言えるものはありますか?
ほんじつのにいとちゃんは気になったことの学習の息抜きに大好きなゲームの公式サイトを久々に覗きに行きました。はい、跡地しか残っていませんでした。代わりにグーグルの画像検索で思い出に浸ることにしました。そこにはゲームのの切り抜きや誰かが描いたファンアートがたくさんありました。懐かしい気持ちと寂しさでぐちゃぐちゃになってしまいそうです。大好きだったものの思い出が決して嘘ではないのだと証明するために一つファンアートでも描いてみようかと考えたとき、私はキャラクターの細部を全く覚えていませんでした。私にも大好きがあるはずなのですがその外側しか覚えていません。各キャラクターが物語においてどんな役割を持っていたか、大まかなことは覚えています。しかし各個人に焦点を当ててみたとき彼ら彼女らがどんな服装だったか、髪型、武器の細かい形は、装飾品は、何も記憶に残っていませんでした。それがとても悔しいです。
好きを証明できない私に存在価値はない
ないです。君は君だよの言葉も響かないと確信をもって言い切れます。今の私に存在価値はありません。観測されないものは存在しないのと同じです。私の心や記憶や思い出も全部。だから形にしなければなりません。文章にも出来ず絵にも出来ない。好きが消えずに残っていてくれたらこんな思いをせずに済んだのでしょうか。大好きだったものが方向を見誤っていつもなくなってしまいます。世界も私もみんな消えればいいんです。醜いものになる前に。