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「薬袋カルテはそこにいた」

「世界恒常性は今日の21時から」
 そんな呟きをふと目にして私は直感的に心の中で呟いた。「行ってみよう」と。我が精神はtwitterで出来ているのである。それはもうそのまま言葉が出てきた。それはもう簡単に! あぁ、これは感嘆符。
 「世界恒常性」とはなんだろうか。以前私が目にしたのは2週間ほど前。仮想空間「cluster」の内部で行われるチャリティーライブらしい。なにやらかつて仮想世界を賑わせた人物「薬袋カルテ」が復活してきたらしい。「らしい」ばかりではないか私の言葉はどこにある。まあ良い良い、私が知っているのはその程度。その時調べようと思いtwitterを弄繰り回していて見てしまったのだ。所謂運営というものを。私はあれらが苦手である。出来ることなら知らない見えない空間で息を潜めていてほしい。何故本人ではなく中だか上だか知らないが別人がキャッキャと騒いでいるのだろうか。別人の、親類への喜びであれば理解できる。しかし当の本人のように振舞っている現場を見てしまいライブイベントの主役であるはずの人物とは縁遠い印象に強く違和感を覚え、そこで興味を失った。

 はずだった。

 結果として私はライブ配信会場へ足を運ぶことになった。理由は単純、私は「cluster」に接続できるアカウントを一応所持しており、そんな折、昨日今日とあるトラブルへの対応に追われ反動によって体がほぼ動かず暇になってしまったからだ。なんとかこうして文字を打つことは出来ているが外出は困難、なら家で暇を潰そうぜ。そうして暇潰しと未知への体験を求めて私はそのライブに観客として参加することになったのである。

 二〇一時、時間通り会場に入場した。仮想空間でのライブは初めてだがネトゲの常に倣ってその場のSSを撮りまくる(私はネットゲーム出身者なんだ)。
SSというのはスクリーンショットの略称、簡単に言えば写真。しかしこれはただの写真ではない。跳ね回る人々がいる。風景写真だ。それはもう楽しい空間であった。行き交う四角い頭をした生物こと「人々」、彼らは思い思いにエモートやチャットコメントでの感情表現でライブが始まる前の空間を楽しんでいた。私もそこに飛び込んだ。

 そうして少しの時間が過ぎた。

 彼らと空間の切断、いや写真撮影を楽しんだすぐあと「薬袋カルテ」の過去の動画がモニターから流れてきた。私は彼女のことを全く知らないがどこか懐かしさを感じるその映像をひとしきり楽しんだ。
「かつて彼女はたしかに存在していた」
 それを確かに実感できた。なにせいくつか流れてきた映像が、そのどれもが魅せる構成に仕上がっている。存在を肯定させる流れだった。「美しい」、心の中で呟いてしまうほど私はその映像に魅入っていた。

 しばしの待機時間のあと、ついにライブ本編が始まろうとしていた。
私はとてもとても初歩的なミスを犯していた。トイレに行きたい。
久々に落ち着いた感情設定でコンテンツを楽しむために普段飲まないようにしていた紅茶を飲みながら会場に居たのだ。これは失敗だった。そんなことより。
 薬袋カルテが音もなく姿を現す。気が付いた時にはいつの間にかそこにいた。御本人の御出座しだなんて云うのは合わない。だから飾らない言葉でいうべきだ。「薬袋カルテ」はそこにいた。別の場所にいるのに同じ場を共有している。普段から何気なく行っている行為がなぜだろうね、特別なものに感じられる。
「皆さんご一緒に一度場所を移りましょうか」
 薬袋カルテが言う。どうやら「ワールドジャンプ」というものが行えるようだ。その場にいる全員を違う景色の空間に飛ばせるのだ。私はこれを知らなかった。最初は白背景の上後方に「世界恒常性」と掲げられているくらいだった景色が夜のビル街へ、そこで彼女が少し話した後もう一度景色が変わる。景観だ。この季節、感染症で外に出づらい人々の為に用意した桜舞う春。そこで薬袋カルテは告げる。
「聞いてください。風になる」
 彼女は唄いだす。名曲だ。美しい歌声につられてモニターの前で私もついつい口ずさむ。「これはいい物だ」私は感じた。そして会場のコメントも加速する。思いは同じなのである。私はこの風景を知っている。どこかで見たんだ。どこだろう。とても美しい。私はこの一体感が好きなのだ。大好きだ。
 そしてまたワールドジャンプ。次はトークだろうか、いや違う。ユーザー参加型のクイズである。AとBに分かれて〇×判定を行うそれである。表示限界で私は前の様子は見えなくなってしまったが。後ろにいてもAとBに分かれることは出来るしコメントで答えることも出来る。うまい空間利用だ。
「感染予防二択クイズ全三問」薬袋カルテは続けて言葉を放つ。
「第一問、[A:手洗い30秒+濯ぎ15秒]の動作を一回、[B:手洗い10秒+濯ぎ15秒]の動作を二回、感染症の対策により効果があるのはどちら?」
わからない。わからないから宣言だ。「私はAを選ぶ 」。コメントの盛り上がりに混ざろう。私も参加したい。もしくは、いや参加するべきだ。
少しの間の後、参加者の移動が終わったのを確認して薬袋カルテは進行を続ける。
「正解はBです。」
 外れてしまった。だが楽しい。二問目の問いが来る。
「第二問、これは皆さん普通に正解できるんじゃないでしょうか。アルコール消毒液の仲間はどちら? A:エタノール、B:オキシドール」
 これはたしかに簡単だ。Aである。ほとんどみなAに移動した。
「正解はAです。みなさんおめでとうございます」
やったぜ。正誤1:1だ。しかしラスト一問、というところで回線が不安定になり彼女の声が途切れてしまう。だが全く問題ない。仮想世界に於いてこれも一つの醍醐味だろう。
「ラプンツェル見に行ったな」
そう、この空間を作っているのは「薬袋カルテ」一人ではないのだ。
「なら仕方ない」「あれならしょうがないな」「同時視聴枠はここですか」、彼女が戻ってくるまで参加者たちが場をつなぐ。ちょっと危ないかもしれないと意識をしつつも楽しげに、お茶ら菓子を出し合い場をつなぐ。この茶化しあいもまた好きなんだ私は。
 なんとか持ち直し最後の問題がやってくる。
「第三門、clusterの意味は? [A: 民]、[B: 房]。さあどちら?」
 私はBを選んだ。さぁどうだ。
「答えはB! 房! 」
「当たったぁぁああああ!!! 楽しい! 楽しいなぁ!!」
 思わず叫んでしまう。こちらの声が遮断される世界でよかったと心底思う。AとBを選ぶだけでこの熱中の仕方である。私は存外良い感情を発露しやすいようだ。そして語彙がない。いやこれはとても良いものだ。ほかにどう表現しよう、良いんだよ。
 またしても場面移動、次は何が来る。海底空間だ。
「おさかな天国を歌いたかったんですけど権利が大丈夫な音源を用意できませんでした」薬袋カルテは言う。かわいらしい。これもまた御一興。
「代わりにこれを」彼女は言葉を繋ぐ
「これをもちまして、本店は閉店となります。お買い物がお隅出ない方はお早めにレジへお願いします」
 商店は閉まってしまった。閉店ガラガラ。おさかな天国のこの一連は馴染みのある者ならもっと楽しめるのだろうと書いていて思った。この情報量では書き足らない。伝わりきらない。それでも以前の「薬袋カルテ」を知らない私でもその場で大笑いしながらその事故を楽しめていた。私の言葉で一つ言おう。
「人の子、放送事故は楽しいぞ」
「しかしこれでは少し物足りないですよね」
 画面の向こうの人物と言葉が交差する。意図せぬ会話がまた楽しい。そして彼女はまだ楽しいを用意してあるのだろう。
「ちょっと何かいいものがないか探してきます。少々海の底でお待ちいただいて」
 全然待てる、待てるとも。
 しばしの時が過ぎそして音もなく世界が変わる。溜めていた最後の仕掛けが発動する。すべての方向から薬袋カルテを見ることができる三六〇度ライブステージ。
「僕の診療所の屋上です」
 チャリティーライブのトリがやってきた。もっとも同一人物、だからこれは誤用かもしれない。「締めに入ったな」私はそう言いたいのである。考えているうちに耳に美しい歌声が聞こえてくる。薬袋カルテのオリジナルイメージソング「Stardust finding you」
 聴き惚れた。儚さを感じる歌である。星屑って綺麗な感じするよね。この場面を書いている私はだめだ。彼女の歌に耳を、いや耳だけじゃない、情報を処理する脳まで奪われてしまったのだ。うまく言葉にすることができない。「ははは」と呆然気味に声が漏れた。私の言葉は拙すぎる。あぁ、最後の心音の響きがとても綺麗だった。88と、そしてまた888。気づいた頃には会場は拍手で包まれていた。一つの空間が一体感で満たされていた。

 軽く談を挟み、少し間を置き薬袋カルテが消えていく。最後の最後で声が途切れていくそれは、途中のものと同じく事故だったのだろうか。それとも演出だったのだろうか。将又最初からすべて計算、いやどちらでも良いな。こんなに、こんなに美しい空間に、そして楽しい一体感にそんな思考は必要ない。要らない。私は「薬袋カルテ」をよくは知らない。でも今日少し知ることができた。運営とか中の人とかどうでもいい。私はそんなものに興味はない。嘘だ。作品を作る者としてのそれらには少し興味がある。しかし今は、唯ここに素晴らしい表現者と彼女に感化され表現の一部に昇華された空間があった、様々な形でそれを支えた者達がいた、「薬袋カルテ」はたしかにそこに生きていた、これで、これだけで充分ではないか。納得した私は彼女が消えたその空間の残響を聞きながら、「集合写真撮ろうぜ」「最高だったよ」「ありがとう」色々な声の交わりを聴きながら静かに冷めた紅茶を飲み終えた。


「世界恒常性」、一つの世界は余韻を残し閉幕した。しかし残ったのは余韻だけではない。感化された者達がいる。私や、それ以外の箱型生物「人々」にも「好き」と新たな創造の種を撒いたであろう。私や彼らは感化されやすい存在なんだ。改めて何かを作ることの良さを思い出すことができた。私はまた何かを作る。とはいえここは「薬袋カルテ」、私の視点から視えていた彼女の話を書く場なのでそれはまたどこかで。最後に彼女の言葉を一つ借りよう。
「おやすみなさい。よい現実(夢)を」
 薬袋カルテ、こちらこそこの言葉をあなたに送りたい。
 そしてまたどこかで出逢いたい。

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