マイ・ウエイ
フランク・シナトラでも有名な「マイ・ウエイ」。
ビートルズの「イエスタデイ」につぎ、エルヴィスからシド・ビシャスまで世界中で二番目に多くカヴァーされた曲とされる大ヒット曲だ。
あの「ダイアナ」で知られるポール・アンカの作詞であることも有名な話だ。
そしてその原曲はクロード・フランソアというフランスのシンガーソングライターの「いつものように~Comme D’habitude」という曲で、南フランスでの休暇中にこの曲を聴き、魅せられたポール・アンカがパリへ向かい、その権利を取得。英語の歌詞をつけ、フランク・シナトラの「マイ・ウエイ」として発売され、とんでもないヒット曲として音楽史に記録されることとなる。
そしてそんな「マイ・ウエイ」の曲が書かれた陰に、1964年から67年にかけて、クロード・フランソアと熱愛関係にあったフランス・ギャルとの破局があり、それがこの「「いつものように~Comme D’habitude」を書くきっかけとなっている。
いままで知らなかった自分にとっても大事件だったのである。
何しろ自分が15歳で「夢見るシャンソン人形」と出会い、その後、アイドルと言えば、フランス・ギャルに始まり、フランス・ギャルに終わると言いまくっているほど、彼女の大ファンであるからして、まさかあの世界的な大ヒット曲「マイ・ウエイ」にフランス・ギャルが関わっていたなんて驚愕の歴史の真実なのだった。
シナトラの「マイ・ウエイ」といえば、知っての通り、いま人生の終わりが近づいているという始まりから、自分の人生を振り替えるポジティヴな唄として親しまれている歌だが、この「「いつものように~Comme D’habitude」はとてもセンシティヴで人生の最後に向けて、そんなふりをするふりをするという残酷な結末を演じる自分を歌う・・・。
そんなクロード・フランソアが友人に語っている。
「僕たちは、とても素晴しい3年間を一緒に過ごした。僕たちは憂鬱になるなんてことは決してなかった、僕は良い人間でいられたし、彼女は耐えられないような生き方をしていたと、煩い世間の声が騒ぎ立てるが、僕は自分はその生き方が好きだったと今では言える。その愛は、自分にとってとても際立ったものだし、いつまでも脳裏に焼き付いている。僕の心の中には彼女のための場所があって、永遠に彼女のために残しておいてあるんだ・・・」