【自分史】父親が米軍キャンプに勤めていた②…メリック軍曹
所沢では市民との交流を図るイヴェントとして桜祭りというのが開かれていて、その日だけ基地が一般に公開される。
父親が忙しいので、父親と仲のいいメリック軍曹という人物にオレは預けられ、彼が親身になって一緒に遊んでくれた。
ある戦車の前にくると彼に乗れと促され、上ろうとしたその鉄板の厚さに、ひどく感動した覚えがある。
てっぺんの回転砲塔にたどり着くと、上部がオープンになっていて、変な戦車だなぁと思いながらも、そこから中に入り込み、操縦席に座り込んだ自分はすでに気分はいっぱしの戦車兵と化していた。
遊び疲れたオレが、芝に覆われた基地内の小高い丘に寝そべっていると、隣に座って彼がハーモニカを吹き出した。
夕闇が迫り、夕陽が彼の横顔に深い陰影を作りながら、目をかすかに閉じたオレの耳には、彼のハーモニカのメロディーが、どうしようもない感情の初体験として、押し込まれ
て来たのである。
まだどこへも遠くへなど出かけたことのない子供に、それは耳ではなく、頭の先からつま先まで、郷愁というような感情で包み込まれてしまうような初めての体験であった。
家へ帰り、かつていままでなかったであろう真剣な眼差しで、父親に、メリック軍曹が吹いていたあの曲を教えて欲しいと懇願していた。
数日経って、父親に英語の文字が書かれた紙切れを手渡された。
小学生であったオレには英語などわかろうはずもなく、父親はその英語にカタカナで読み方を書いてくれた。
オゥ ザ コットン プライズ イン ザ メイド イン ザ ホーム〜♪
後に知ることになる有名なフォスター(Stephen Collins Foster 1826〜1864 アメリカの作曲家)の「ケンタッキーの我が家」であった。
メリック軍曹のハーモニカは、それは基地内でも評判のものだったらしい。
さらに黒人グループと集団で喧嘩になったときにも先頭にたって暴れまくる腕達者でもあったらしい。
あの丘で吹いてくれたハーモニカは、オレだけのために吹いてくれたわけでもないと気がついたのは、ずいぶんと経ってからだ。
この極東くんだりまで来て、夕闇迫る丘の上に座り、吹いた「ケンタッキーの我が家」は、彼の気持ちそのものだったといまは確信している。
その後、彼がどうなったのか知るすべもないが、これは「J」という歌の中で、オレの想いとして唄に託していることは知ってる人も多いだろう。
そして、オレは自分の曲のどこかに必ずフォスターの匂いをかぎつけてしまう。
特にスローな曲の場合、それは顕著に現れ拭い得ないトラウマとして、いまも仲良く一緒に暮らしているのだ。
※このテキストは、かつて第一興商の音楽ファンサイト「ROOTS MUSIC」に連載されていた文章に、大幅に加筆修正したものです。