20241014

つかれた。今日はなんにも書く気にならない。

昨日の続き、高校のことを書こうかとも思ったが、高校のことはあまりにもまとまらなさすぎるのでやめた。
そのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。

高校のことを思い出すだけですごく体力を使う。
それくらい濃くて、しんどくて、波乱だった。
正直 あまり思い出せない、思い出したくない、というのもある。


…ので、高校の最後、高3以降だけを軽く書こうと思う。



私は高校3年の春に首を吊った。

助けがあと数分遅れていたら死んでいたと思う。


私は首を吊る場所をきちんと選んでいたが(事前に人に見つからない場所を調べ上げていた)、そこを死に場所には選ばなかった。

いっそ人に見つかって、精神科に入院してやろうと思った。

死んでもいい、とは思っていたが、同時に「家がおかしいだけであって、私は何もおかしくない」という自負もあった。
死にたいという気持ち以上に、ただ家族と離れて生きたかった。

とはいえ、結局人に見つけられないまま死んだとしても それはそれで別にいいと思っており、丁寧に遺書を各方面に何通も残していた。


どちらにせよ、精神科に入院できたとして、そこで良い先生に出会えなければ私は退院後確実に死ぬ予定にしていた。
その時こそ、事前に調べ上げていた場所で死のうと決めていた。

要するに、賭けに出たのだ。

後遺症が残って生き延びることだけは避けたいと思いながら宙に浮いた。



私はこの賭けに出て本当によかったと思っている。
自分の直感は信頼するべきだな、と今でも思う。

自死の具体的な計画は高1の頃から立てていたので、高3の時に「そもそも自死を行わない」という選択肢は私にはなかった。
今でも、あの頃に戻ったら自死は選ぶと思う。
ずっと引き伸ばして引き伸ばして、実行が高3になっただけだったから。


この後、入院先で出会った主治医のことを、私は今でも神様だと思っている。
私にとって、はじめての「信頼できる大人」だった。

先生との閉鎖病棟での治療は1年にわたったが、私にとっては苦痛ではなかった。
むしろ、外での生活よりよっぽどマシだった。

私にとって閉鎖病棟は、幽閉される場所ではなく、隔離シェルターだった。

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