愛と憎しみの間で。今日の写真はスキヤキです。
愛と憎しみの間には、無関心、嫌悪、嫉妬、怒り、悲しみがあります。
無関心はその事に関して興味も疑問も感じないので、愛も憎しみも関係のない状態のことです。関心を持つことから始めなければなりません。
嫌悪は憎み嫌い、不快に思うことです。愛を否定して、憎しみが勝っているのです。
嫉妬とは他人を羨ましく思い、妬むことです。愛と憎しみの両方が存在して戦っているのです。
怒りとは憤りを感じて憎しみに近くなった状態です。本能的に自分を危険から遠ざける行為だと言えます。
悲しみは愛を失った時の表現です。泣き叫ぶ人もいるでしょう。悲しみと憎しみは近いものがあります。愛を奪ったものを憎むのです。
悲しみから抜け出すためには他人の助けがいるのです。他人の助けとは諦めることが必要だと気づかせることです。悲しみの原因を取り除くことはできません。諦める儀式が葬儀です。笑って失くした愛を送りましょう。
怒りを抑えるためには悲しみを抑えるのと同じで諦めることです。怒るのは想定していたことと実際が離れていた事が原因です。想定していたことと実際が同じであれば人は喜ぶのです。他人からの助言は役に立ちませんので自分で気づくしかないのです。
嫉妬する気持ちは嫉妬している原因が理解できていないからです。なぜ嫉妬するのでしょうか。それは自分の持ち物では無いから嫉妬するのです。自分の持ち物であれば自慢になります。嫉妬するのも自慢するのも自分を優位にしたいが為に行うのです。優位にしたいと思わなくても生まれてきた時は裸です。誰かの助けが無ければ何もできない弱い生き物です。死んでしまえば手元には何も残りません。その間の出来事の中で理解して称賛できるものに出会えたら楽しいのです。
嫌悪する気持ちを愛好する気持ちに変える事はできませんが、嫌悪するのは関心があるから嫌悪したり愛好するのです。無関心になれば嫌悪も愛好もないのです。
無関心になりたいのに関心を持ってしまうのは愛の始まりです。偶然、奇跡と思うのも関心があればこそです。愛の反対は憎しみであって無関心ではないのです。