気遣いと気配り
気遣いはしない。
気配りもしない。
気遣いは、相手に対して失礼のないようにあれこれと気を使うことです。
気配りは、相手が望む事を推測して前もって行動する事です。
どちらも自分が主体で自己満足なのです。
相手が望む事を、確認してそれを叶えてあげると良いのです。
相手に聞けば良いのですが、聞いては差し障りのある事だと勝手に判断して聞かないのです。
空気が読めないと言われても聞く事によってはっきりさせないと相手の望んでいる事の要望を間違って解釈してしまうのです。
気遣いは、自分が傷つかないようにする心のガードなのです。相手の気遣いを求める為の気遣いになっていませんか?
そのような気遣いならば無くさないと悪い方向に進んでも誰も止める事ができません。
気配りは、相手の望む事を推測して予めに行動する事ですから、気配りができていないと非難するのは間違っているのです。自分の望みを、相手の推測に依存する体質が組織をダメにするのです。
日本の心は、気遣いと気配りとおもてなしと、美しいのですが、悪用してはいけないのです。気遣いをさせない。気配りもさせないようにと思う心が本当の気遣いであり、気配りなのです。
わたしは空気が読めません。気配りができないのです細かく指示してください。気遣いができないので、あなたを傷つける事があります。
あなたの指図している事は、わたしにはできません。なぜなら間違っているからです。
間違っていると言わないのは間違った気遣いです。自分の解釈が間違っているのに気遣いだと思って聞いていないのかも知れないのです。
自分の間違いを正す為には気遣いをしないと決めないと逃げ道になっているのです。あなたが正しいと誰が判断するのでしょうか?
自分一人ならば、気遣いは必要ありません。相手が自分と同等ならば気遣いはいらないのです。相手が自分より上の人ならば、
気遣いしなくても良いようにしてくれるでしょう。自分より下の人には気遣いさせないように気遣ってあげましょう。気遣いが必要なのは自分より下の人なのです。
気遣いはしません。気遣い不要です。