2度目の妊娠と流産のお話
こんにちは、パン子です。
今回は前回の記事の後のお話、私の2度目の流産のお話になります。
前回同様クソ暗い&長いお話ですのでよろしくお願いいたします。
流産後、検索魔の日々、衝撃の事実を知る…
1度目の流産の後、私はとにかく落ちていました。
事務のパートも辞めてしまいました。もともと都心への通勤が大変だから、お腹が大きくなる前に辞めることを上司に伝えていました。
結果、流産になってしまったわけですが…。
女性の多い会社で、妊娠中の社員さんが職場にたくさんいらっしゃり、辛すぎてそのまま辞めてしまいました。辛抱ないなと自分でも思いますが、それくらい精神的にやられてしまっていました。
それと、もしまた次妊娠が出来たら、その時は一切仕事に行かず安静にしたいなと思ったのです。きっと心配すぎて仕事には行けないな、と。
(※仕事をしているからと言って流産に繋がるわけではありません。母体の行動は初期流産とは関係ありません)
そのあとは家に引きこもり、ネットで「20代 流産 確率」とか「心拍確認後 流産 確率」とかで調べまくる日々。
そんな検索魔になっていた頃、とあるブログに出会いました。
20代で3回流産を経験されている、不育症患者のASCAさんのブログです。
(不育症=妊娠はできるのに流死産を繰り返してしまう病気です)
このブログで私は、2つの衝撃の事実を知ることになります。
①流産手術には掻把手術と手動吸引手術の術式があること。
掻把手術は危険な術式であること。
②流産した時には胎児絨毛染色体検査を受けなければ、原因がわからないこと
この時の私の脳内、
何それ聞いてない…!
手術の説明の時、先生は「掻き出す」手術だと言っていた。
つまり私が受けたのは掻把手術。
でも「他に手動吸引って手術もありますぜ」なんて教えてくれなかった…!
赤ちゃんの染色体を調べる検査があるなんて、聞いてない!
「病理検査で問題なかったからオールOK♪」って言ってたのは嘘じゃないか…!
本当に目玉が飛び出そうになりましたよ…えぇ
対応してくれた先生たちがいかにテキトー言ってたのかということ(本人たちはそんなつもりも無いと思いますが)が判明し、怒りが湧いてきます。
それでも、過ぎたことは仕方ないので、もし次も流産になってしまったときにはこの知識を生かそう。
しかし頼むからそんな機会は来ないでくれ…!
という願いもむなしく私は2度目の流産でこの知識をフルに活用することになります。
2度目の妊娠
術後、生理を2回見送って妊活を再開しました。
その間、都心から隣県の郊外にマイホームを購入し引っ越し。
心機一転、妊活に励みます。
前回は自己タイミング3周期目で妊娠できましたが、今回は自己タイミング4連敗…
「早く妊娠しなければ・・・!」
変な焦りがあった私は近くの産婦人科でタイミング指導とホルモン補充を受けます。
結果は1周期目で妊娠!もっと早くに産婦人科行っておけばよかったな…と思いつつも何とかまた妊娠できたことに安堵していました。
とは言っても前回の経験がある以上、常に流産の不安が付きまといます。
トイレに行く度、出血していないか恐る恐る確認。とにかく安静に努める。
流産後の妊娠というのはとんでもなく不安が大きいです。
今度は家族にも親友にも、妊娠の事は誰にも伝えませんでした。
わたねこ(夫)と、どうか無事に産まれてきてくれますようにと祈る日々。神社にも何度もお参りに行き、安産のお守りも持ち歩きました。
しかしそんな願いもむなしく、私は2度目の流産を経験します。
赤ちゃんが小さい…2度目の流産宣告
排卵日から計算して、妊娠8週後半でした。
(産婦人科で卵胞チェックしてもらっていたので、排卵日はほぼ確定していました)
ここで心拍が確認出来たら、母子手帳をもらう予定でした。
エコーに赤ちゃんが映し出されます。
心拍…ある…!
でもなんだか弱々しいし、8週にしては赤ちゃんが小さすぎないか…?
私の不安は的中し、ずっと黙っていた先生が口を開きました。
先生「赤ちゃんが小さすぎるし、心拍はかろうじてあるけれど、かなり徐脈(遅い)だね。残念だけど…」
私「はい…」
私はどこか冷静でした。今回の妊娠中、胎嚢が標準より小さめだったことや、前回の経験から何となく覚悟ができていたのかもしれません。
それでもあふれ出そうな涙をこらえながら、私は忘れてはならないあのことを先生に聞きます。
私「手術は手動吸引手術が良いです。それから絨毛染色体検査を受けたいです」
先生は少し驚いた様子でしたが、穏やかに次のことを話してくれました。
・この病院では手術は掻把手術しか行っていないこと(病院の方針としては基本的に自然排出を待つ)
・絨毛染色体検査は実施していないこと
もし他の病院で手術と検査を受けるということであれば、紹介状を書いてくれるということを快諾してくれました。
でも、赤ちゃんは辛うじてまだ生きているので、念のため3日後にもう一度来ることになりました。
コロナ対策でわたねこは付き添えず、車の中で待っていました。
顔を見たら、ずっと我慢していた涙がこらえきれず、私は大泣きしました。わたねこはそんな私を見て察したようで、肩を抱いてくれました。
帰りの車でも私はずっと号泣、また赤ちゃんがいなくなってしまう
絶望でした。
家に着いて、なんとかわたねこに現状を説明することができました。
それからは2人で手動吸引手術と絨毛染色体検査をしてくれる近隣の病院を探します。出血が始まり、時間の猶予はありませんでした。
(赤ちゃんが自然排出になってしまうと、絨毛染色体検査は基本的に受けられません)
残された赤ちゃんとの最後の時間を大切に過ごしたいのに、転院先の病院探しに追われました。
何とか手術と検査を引き受けてくれる病院を見つけ、最終確認のため元の産婦人科に向かいます。
コロナ対策で付き添いはNGでしたが、病院にお願いしたら特別に付き添いを許可してくれました。前回の流産の時のように、1人でエコーを見ることは耐えられませんでした。恐怖でした。
前回と大きさの変わらない赤ちゃんが映し出されます。
前回は辛うじてあった心拍は、完全に止まっていました。
もう涙は出ませんでした。覚悟は決まっていました。
転院先の病院名を先生に伝え、すぐに紹介状を書いてもらいました。
転院、2度目の流産手術
転院先の病院は、不妊治療メインのクリニックでした。
流産したばかりの私には、妊婦さんも赤ちゃんもいない空間というのは有難かったです。
担当してくれた女性の先生も2回流産を経験されていて、とても親身になってくれました。良い病院に巡り合えたことは不幸中の幸いでした。不育症検査もこちらの病院で受ける予定です。
その後は手術日までゆっくり過ごしました。無事に転院することが出来て心に余裕ができ、比較的穏やかに過ごせていたと思います。
それでも手術前日はやっぱり涙が出ました。また赤ちゃんとお別れしなければいけない。
赤ちゃんとお別れするため、手術台に自分の足で上がらなければいけない絶望感と
麻酔から醒めたら、さっきまで確かにお腹にいた我が子がいなくなっている喪失感
あんなにつらい思いはもう2度としたくないと思っていたのに。
手術当日は、2度目だったので私も段取りをわかっていましたし、何より安全な手動吸引で手術を受けられること、絨毛染色体検査で流産の原因がわかるかもしれないことに安心感がありました。
手術は無事に終わりました。術後お世話してくれたおばあちゃん助産師さんが優しくてちょっと泣いた。
おわりに
以上が私の2度目の妊娠と流産のお話でした。
1度目の流産の後にASCAさんのブログに出会っていなければ、私は今回もきっと、掻把手術で自分の身体を傷つけ、絨毛染色体検査も受けられず自分が不育症であることにも気づけていなかったと思います。
本来であれば、お医者さんから絨毛染色体検査の案内をするべきですし、すべての病院で手動吸引手術が受けられるのが理想です。
しかしこれが現在のこの国の実情です。お医者さんは何も教えてくれません。
流産経験者は深い悲しみの中、自分で情報を得るしかないのです。そして情報を得られなかった人は掻把手術を受け、2度目3度目の流産でも絨毛染色体検査を受けられないままです。
後日、絨毛染色体検査の結果を聞きに病院に行くのですが、そこで恐れていた結果を聞くことになります。その話はまた後日。