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ポルトガル生活 2
こんばんは。今日でブログ12日目です。
今日も昨日のポルトガル滞在記の続きを書きたいと思います。
ポルトガルには1993年12月から1998年12月ごろまでいました。その間、3回くらいは日本に一時帰国しました。あちらの夏休みは長いので、日本のように1週間くらいのお盆休みではなく3週間くらいあったような記憶があります。
飛行機代は確か年1回の帰国には会社から出してもらえていたと思います。もちろんエコノミークラスですが。帰国はポルトガルのポルト空港からロンドンのヒースロー空港まで行って、そこでANAなどに乗り換えて関空まで来ていました。
ポルトガル赴任は26歳にして始めての海外だったので、始めての外国体験がポルトガルでした。第一印象は初めに泊まったホテルが薄暗い感じだったので、暗い印象でした。ヴィアナ・ソル・ホテルというヴィアナ・ド・カステロの町にあるホテルです。泊まったことのある方、いますか?エレベーターのドアを手動で閉めるのは少し驚きました。
部屋に入ってテレビをつけると、当たり前ですがポルトガル語で放送されていました。意味の分からないニュースをぼーっと見ながら、寂しくなると同時に大変なところに来たなと改めて思いました。
それでも初めの数ヶ月くらいは物珍しさもあって、なんとかそこそこ楽しく過ごせたと思います。そして少し慣れてくると今度は寂しさと物足りなさを感じ始めました。日本食はない、日本語の本もない、映画館はあっても字幕がポルトガル語、レンタルビデオも同じ。休みの日、一体何をすれば良いんだろうと思いました。
家族で来ている日本人はまだどこかに出かければ気が紛れると思いますが、単身者は割とすることがないです。当時はまだインターネットもそれほど普及しておらず、もちろんWi-Fiなんて自宅に引いていません。スマホもなければ、携帯電話すら持っていませんでした。
日本に電話すると普通に国際電話で高い料金がかかります。今はスカイプなどがあって、当時から考えれば夢のようですね。今、海外生活をしている人はネットで日本映画も見られたり、テレビ電話できたり、当時の僕の生活とは180度違うだろうなと思うと羨ましいです。
長くなったので、続きはまた次回にしたいと思います。