サラリーマンの葛藤 #1
やはり40代も中盤に差し掛かると、自分はおじさんになってしまったんだなって思ってしまうことがよくあります。地下鉄の駅の出口で階段側とエスカレーター側に別れていた場合、エスカレーター側にとんでもない行列が出来る時があります。そんな時、若い頃の私なら、ちょっとくらいの階段なら登ってやろうと、むしろなんで出口に出るためだけに、列になればなければならないんだなんて思っていました。それが今はどうですか、どんな長い行列のときも、私はもはや当然のようにその最後尾に並び、エスカレーターで足腰を労り、心拍数の上昇を嫌っているのです。横を見るとこちらの窮屈さとは程遠い通行人ガラガラの階段。それでもおじさんになってしまった私にとっては天竺ほどの苦しい道のりに見えてしまうのです。
我々おじさんというのは自分が好まれる存在ではないということを自覚していなければなりません。
新幹線での座席、隣に座る人が、おじさんだったらちょっと嫌でしょう。
今の若い子の言う「イケオジ」だったら別ですが、
世の中にイケオジはそう多くいません。
イケオジになれなかった中年サラリーマンは
社会から受けているストレスでパンパンに膨れ上がってるかもしれない。
たまたま自分の横で爆発されたらどうしようとか思われているはずです。
私だってそう思ってしまうかもしれません。
隣に座る人を若者かおじさんか選べる場合、
おじさんの方を選びたい人なんていないはずです。
選択肢がおじさんかおばさんかだったとしても同じです。おじさんを好んで選ぶ人はいないでしょう。
職場で女性社員に
「髪切りましたね」って言ったらセクハラ、
「お仕事お疲れ様です」と言ってもセクハラ。
おじさんとはそう言う生き物なのです。
以前、新幹線の自由席に乗っていました。少し混んでおりましたが、
一席座れそうな場所が空いていました。
3人席の通路側C席です。その列の窓側A席に1人ポツンと私よりひと回り先輩と見受けられるおじさんが座っておりまして、B、C席がガランとしておりました。いくら少し混んでいるとはいえ、わざわざ彼の隣のB席に詰めて座るのは変だと思いまして、一つ席を空けそのC席を選んだのです。もし仮に途中の到着駅で座りたそうな人が来れば席を詰めて差し上げようという意気込みは持っておりますので、その点はご安心下さい。
しばらく乗っておりますと、窓側A席のおじさんが次の駅で降りる旨を
小さなジェスチャーと目配せで伝えてきまして、私はその意思を受け取ったことを表情で示し、体の向きを変え、彼を通路側へ通してあげました。
我ながら今のはスマートなやり取りだったと感じています。お互い言葉を発せずともこれまでの長い人生経験から自然に身についた最も効率の良い、最小限のコミニュケーションだったと思います。
問題は彼が降りたその後です。A、B、C3つ座席があるその列で私は通路側C席に一人とり残されました。
私が降りる駅に着くまであと1時間弱乗っていなければならないのですが、
その間、この車両に、どこか座りたそうな人が入ってきた場合、
私の列は3人席でまだ、私一人しか座ってないわけですから、
私の隣のA、B席に入っていただくことは可能なわけです。
ですが、その際、通路側にいる私は邪魔で、さっきみたいに私が身体の向きを変え、通してあげなければなりません。それは全然良いのですが、
車両に人が入ってきたときに、その人が空いている席を求めている人かどうか分からないじゃないですか。車両を移動してるだけかもしれない。
かといって、私が本やスマホに集中していて、座りたい人が来たことに気づかないでいたら、
その人が気まずい思いをしてしまうだろうし、ずっと立っているのは大変じゃないですか。だから本を開いてはみるものの、そこまで集中できずにいました。
それなら、私が窓側席に移動すれば、座りたい人が来たとき、その人がスムーズに通路側に座れるだろと思う人もいるかもしれません。
確かにそうです。通路側にいる私が邪魔になって窓側の席が入りずらいまま空席になってしまうわけですから、最初から私が窓側に移動するのは一見妥当な判断です。
しかし、おじさんというのはトイレが近い生き物です。
出来ることなら通路側にいたいのです。
私が窓側に座り、その後、誰かが通路側に座ると、私がお手洗いに行きたくなるたびに通路側の方にお伺い立てなければならなくなります。私が一度トイレに立つだけでも行きと帰りで、二回も手間をかけることになるのです。
それならば私が通路側に居て、窓側に人を通しておけば、その後は自由に気兼ねなく立ち上がる事が出来るわけですが、
通路側に座る場合はやはり、座りたい人が来るかどうか少なからず気を配る必要があり、本を集中する事が出来ません。
どちらに座ろうが、私は気を休めることがなかなか出来ず、八方塞になってしまいました。
気にしすぎだと思う方がいるでしょうか。
もちろん全てのおじさんが私のように自意識過剰で、考えすぎてしまう性格でないのは分かっています。
でもおじさんというのは、ただでさえ、迷惑をかけてしまいやすい存在と分かっているからこそ気を遣ってしまうものなのです。
おじさんという生き物は周囲への気遣いと自己都合の狭間で常に葛藤しているわけです。
長く生きているとこれまで数多くのつらい経験しましたし、
他人の痛み、苦労や苦悩がよく分かるようになってきてしまいました。
だからこそより人に優しくなれましたし、自分にも甘くなりました。
私は、自分にも、他の誰にも、もう嫌な思いをして欲しくないのです。
長年、現実を生きているくせにそんな、理想郷を夢見てしまっているのです。
だからお節介にならないように、私は私の手の届く範囲内のことだけでも、害にならないおじさんでありたいのです!
と、そんなことを考えていたら降りる駅に到着していました。
結局車両には車掌さん以外誰も入ってきませんでしたし、
その間、私は一度もトイレに立っていませんでした。
人はいくつになっても学べるものです。
今回のことで私も学んだことがあります。
私のようなおじさんは指定席を取りましょう。 #1