播磨国風土記現代語訳3
底本
「播磨国風土記」沖森 卓也、佐藤 信、矢嶋 泉/編著
山川出版社
2005.10出版
現代語訳 Ⅲ 飾磨郡
飾磨郡(しかまのこほり)。飾磨を名づけられた理由は、大三間津日子命(おおみまつひこのみこと=該当者不明)が、この地に館をかまえていらっしゃったときに、大きな鹿がいて鳴いた。その時に、王(おほきみ)が勅されて、「鹿が鳴いたなあ」と仰った。それで飾磨郡という。
漢部里(あやべのさと)。〔土は中の下である。〕漢部というのは、讃岐国の漢人たちが到来してここに居た。それで漢部という。
菅生里(すがふのさと)。〔土は中の上である。〕菅生というのは、ここに菅原があったからである。
麻跡里(まさきのさと)〔土は中の上である。〕。麻跡と名付けられた理由は、品太天皇(ほむだのすめらみこと=応神天皇)が巡行されたときに、「この二つを見れば、山は人間の眼を割いて下げたのに似ている」と勅された。それで目割(まさき)と名付けられた。
英賀里(あがのさと)。〔土は中の上である〕英賀というのは、伊和大神の子、英賀比古と英賀比売がこちらにいらっしゃる。それで神の名に因って里の名とした。
伊和里。〔船丘。波丘。琴丘。匣丘。箕丘。日女道丘。藤丘。鹿丘。犬丘。甕丘。筥丘。〕土は中の上である。伊和部と名付けられたのは、積幡郡(しきはのこほり)の伊和君の一族が到来してここにいた。それで伊和部という。
手苅丘と名付けられた由縁は、近い国の髪がここにきて、手で草を刈って食薦(すごも)となさった。それで手苅というのである。ある人が言うには、「韓人が初めて来たときに、鎌を用いることを知らず、手で稲を刈っていた。それで手苅村という」とのことである。
昔、大汝命の子(おほなむちのみことのみこ)、火明命は非常に情のこわいところがあった。それを父神は患えて、この子から逃れ棄てようとお考えになった。それで、因達神山(いだてのかむやま)にお行きになってその子を遣って水を汲ませ、戻らぬうちに、船を出してお逃げになった。(火明命は)大いに瞋怒った。そして風波を起こして父神の船に追い迫らせた。父神の船は進むことができなくなって、ついに(波風で)打ち破られた。それで、波丘という。琴が落ちたところは琴神丘(ことかみのをか)となづけられる。箱が落ちたところは、箱丘という。梳匣(くしげ)が落ちたところは匣丘という。箕が落ちたところは、箕形丘という。甕が落ちたところは、甕丘という。稲が落ちたところは、稲牟礼丘(いなむれおか)という。冑が落ちたところは冑丘という。沈石(いかり)が落ちたところは、沈石丘という。綱が落ちたところは藤丘という。鹿が落ちたところは鹿丘という。犬が落ちたところは犬丘という。蚕子(ひめこ)が落ちたところは日女道丘(ひめぢをか)という。
大汝神は妻の弩都比売(のつひめ)に「悪しき子から逃れようとして、かえって風波にあい、辛酸をなめさせられた」と告られた。それゆえ、瞋塩(いかしほ)といい、告斉(のりのわたり)という。
備考&雑感
地名由縁の話ばかりかと思ったら、とんでもない神話が出てきたので、飾磨郡の途中ですがここで一息入れたいと思います。
大汝神について、底本の補注には特に記載はありません。が、オホナムチといえば大国主。各種サイトでも同一神とされています。またオホナムチの妻として弩都比売、子として火明命を記載しているのは、播磨国風土記のみ。
一方、“天火明命(あめのほあかりのみこと)”は記紀に登場する有名どころの神。
古事記では、『アメノオシホミミが高木神(タカギ神)の娘の万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメノミコト)と結ばれて生まれたのが天火明命(アメノホアカリノミコト)。次に日子番能邇邇芸命(ヒコホノニニギノミコト)。』とされており、邇邇芸命のお兄ちゃんとなっています。
日本書紀では、本書と一書で幾つかパターンがあります。
本書では、コノハナサクヤヒメが火中出産したときに、火闌降命(ホノスソリノミコト=隼人の祖=海幸彦)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)、火明命(ホノアカリノミコト=尾張氏の祖)の三兄弟の三番目として出てきます。
紀九段一書六・八では記と同じくアメノオシホミミの子として登場、紀九段本書および一書ニ・三・五ではニニギノミコトの子、紀九段一書七では天杵瀬命(アマツキツセノミコト)と吾田津姫(アタツヒメ)の子、火明命(ホノアカリノミコト)、火夜織命(ホノヨリノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)の三兄弟の長男として書かれています。
皇統の始祖の部分なのにこのバラつきは何なのか、疑問はつきませんがとりあえず横に置いて、本題は火明命です。
火明命は天皇家を支える有力豪族(壬申の乱の功臣でもある)尾張氏の祖神なので、記紀編纂で重視され、天孫族に巻き込まれたことは推測がつきますが、オホナムチの御子神であるとの記載は、どう解釈すればよいのでしょうか。大国主命は広範囲に妻問しているので、古代出雲の国交の範囲の広さの証左ではあるのでしょうが。
また、古代海人族である尾張氏の祖神であれば、海上交通を司るのは道理であり、嵐を起こして船を難破させるのも道理。
それにしては、「火明命」という名は、何を表しているのか?日本の神様は、「名は体を表す」のとおり、天照大神=太陽、月夜見命=月などおおむね名前を見れば何の神かわかる場合が多い。もちろん、解釈が難解な場合もありますが(オホナムチも解釈がわかれる)。
ホノニニギノミコトをはじめ、天孫系の神についているホは稲穂の穂と説明されることが多く、私もこれまで疑問なく信じていました。しかし、ホアカリ、ホスセリ、ホオリなど、天孫降臨から火中出産の三柱に現れる、皇統以外の神のホは、本当に穂なのでしょうか。
例えば、ホアカリは灯台の火の明るいこととか、そういう海上交通にまつわる何かを表しているのではないか、何か情報をお持ちの方はお知らせ願えればと思います。
※古代海人族については前田速夫著『海人族の古代史』(河出書房新社)を参考にしました。
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