手抜きはていねいのはじまり

「ていねいな生活」というのがもてはやされている。その一方で、本屋に行けば「時短」「手抜き」の言葉が躍る。「さぼる〇〇」というのも、売れるキーワードとして浮上しているという。「ていねい」と「手抜き」。対極に位置する言葉だと思う。その両方がトレンドになっている、その現象や関係性を、どう理解したらいいのだろう。

ていねいな暮らしとは

 ていねいね暮らしとはなんだろう。概ね、次のようなイメージで用いられている気がする。例えば、出来合いの物を排し、できるだけ手作りする。例えば、家庭菜園で作った野菜でピクルスを作る。煮干しから出汁をとって味噌汁をつくる。糠袋で板の間を掃除する。「キャー、ていねいな暮らしー」といったイメージだ。
 自分語りで申し訳ないが、私は概ねそのイメージに沿った暮らしをしている。石鹸を手作りしているし、庭には菜園ほかベリーの木が二種あり、季節になれば収穫してジャムを作ったりケーキにしたりする。日々お弁当を作って持っていく。コットン糸でコースターを編むことだってある。
 一見して、「ていねいな暮らし」っぽい。だが、その一方で、掃除洗濯炊事はノータッチとまではいわないが、かなりの部分を人任せ(同居している母)にしている。それは、「ていねいな暮らし」と言えるだろうか?
 経済的に余裕があれば、生活の雑多な部分を外部委託して、「ぱっと見、ていねいな暮らし」を演出することは可能である。
 言葉が刺々しくなっているが、何に価値をおいて何に時間を使うかの話であって、非難されるべきことではない。(なお、自己弁護しておくと、確かに家事の大部分を母に負っているが、家電製品の故障や蜂の巣の撤去などの荒事はすべて私に一任されている)

手抜き・時短とは

 一方の「手抜き」を見てみよう。手抜き・時短。勤勉さをたっとぶ日本にあって、あまりいい意味合いの言葉ではない。最近のビジネスシーンでは、そのマイナスイメージを逆手にとって売っている。
 しかし、「手抜き・時短」はすなわち、「効率化」である。元来煩雑なものをより「手早く」「効率的」にやりましょうということだ。なんだ、ここ数十年、ビジネスシーンを席捲してきた概念じゃないか。
 そのうえ、「手抜き・時短」は、「やらない」という選択肢をとらずに、「こうすれば簡単で手早くできるからやろうよ!!」という超ポジティブな提案なのだ。
 こういう考えに至った理由は、Twitterやインスタグラムで人気の料理研究家リュウジさんである。この方のレシピは、「豆腐にごま油とうま味調味料かけるだけ」的な簡単なものから、時間をかけてつくる至高シリーズまで幅広くて、ほんとにお役立ちで参考にさせてもらっている。ここで重要なのは、豆腐をそのまま食べるんじゃんくて、「ごま油かけてごらんよ!うまいよ!それだけでも料理だよ!」の一歩なのだ。(レシピについては、省略して書いてるので、ご興味ある方はTwitterもしくはインスタで検索してください。最近テレビにも出てるし、食品会社とコラボもしています)

うま味調味料を使うことは手抜きですか

 ところで、このリュウジさん、うま味調味料を多用することで、ある界隈から叩かれているらしい。「うま味調味料嫌いなら自分が使わなきゃいいじゃん」という一事に尽きるのだが、ちょっとこの事例を掘り下げてみたい。
 うま味調味料を使うのは料理の専門家としてどうなの?という議論。せっかく料理して丁寧に暮らしたいのに、うま味調味料なんて!
 では、出汁をとったら、ていねいな暮らしなのだろうか。出汁をとるといっても、鰹節やいりこや昆布は、加工品を買ってきている。和食は出汁をとるとしても、洋食でコンソメの素を使わず、ご家庭で肉や野菜を煮出す人がどれほどいるのか。もちろん、レストランなどではそのように作られている場合もあるだろう。では、お金を出して、レストランでそのようにていねいに作られた料理をいただくこと、すなわちアウトソーシング(ちょっと違うが)した場合は、ていねいな暮らしと言えるのか。
 それは、料理人がていねいに作ったものを頂くのだから、ていねいな暮らしだと反論される方がいるかもしれない。ならば、うま味調味料は、ていねいに作られてないといえるのか。
 加工された調味料は、世にあふれている。味噌や醤油に始まり、既出のコンソメの素、マヨネーズやポン酢、オイスターソースや各種ドレッシング。 これらすべて、きちんと衛生管理された工場で製造され、厳密な品質管理のもと、スーパーに並んでいると思うし、これらを使っても「手抜き」とは言われない。味噌あたりは手作りブームが来ているが、食の多様化している日本で、これだけの調味料を全部手作りするのは、現実的ではない。
 さらにいうと、これらの調味料には、もとから「うまみ調味料」が入っているものが多い。気付いてないだけ、知らないだけである。それらを避けて買いそろえようとすれば、まあ、お金に糸目をつけなければ可能かもしれない。いずれにせよ、時間とお金に余裕のある人にしかできない相談である。
 件の料理研究家リュウジさんがうま味調味料を多用するのは、「簡単にうま味のみを追加できるから」だそうである。チャーハン作るときに、うま味があるからといって昆布茶の素を振り入れたら、昆布臭くなりますよね。美味しい料理を作って食べることに関し、非常に合理的なのだ。すなわち、「簡単に間違いなく美味しいものをつくって楽しもうぜ」という発想である。人生という限られた時間内において、可能な限り効率的に手抜きして生活を楽しむ、それは、ていねいな暮らしにつながるのではないだろうか。

有限な時間をいかに使うか

 1日は24時間しかない。 
 ここに社会人がいる。8時間勤務で昼休憩は1時間、通勤は片道1時間、8時間睡眠を取ったとして、残りは5時間である。お風呂に入ったり、朝晩のご飯を食べたりで、2時間使うと、残りは3時間。朝晩のご飯の作成、片づけを入れて掃除洗濯すると、1日の時間は完全に消化される。全く残業をしないとしてこれだ。(世の中の子育てしながら働いている皆様には、本当に頭が下がります)
 限られた時間でいかに楽しく生きるか。それがいわば、ていねいな暮らしではないのだろうか。そのためには、アウトソーシングだろうが時短術だろうがうま味調味料だろうが、活用していい。そうやって捻出した時間で、魚釣りをするなりゲームするなり楽しめば、それこそ「ていねいな暮らし」と言えよう。
 さて、ここまで読んでいただいて、賛同いただける方は、ご唱和ください。

 手抜きはていねいのはじまり。


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