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擬態人
はじめに
私は今、自分というものがわからなくなっている。
過去をぼーっと思い返しているさなか、文章に起こしたら自分の人生がどう見えるのかと興味が湧いたので、この場を借り、ここにメモとして書き起こそうと思う。
これは、30代男の、自分とは何者なのか紐解いていくひっそりとした物語。と言う名のただのメモ書き。
~一章 擬態人(自己紹介編)~【Ver.12.1】
擬態とは
・他のものにようすや姿に似せること
・動物が、攻撃や自衛のためにからだの色や形などを、体の色・形などを周囲の物や動植物に似せること
(広辞苑参照)
幼少期のころの私といったらご存じの通り、気が弱くNOと言えず自分の意見を言えず相手の顔色を窺っていた、、、といった感じにいろいろな事柄に左右され続け、それをアヒルボートで流されてきたのが今の私である。
ご存じだとは思うが上記の具体例を念のためだしておく。
・複数の友人に同時に遊びに誘われても衝撃のダブルブッキング
・消しゴムを貸しても返してと言えないし言わない
・嫌味を言われても笑って済ます
相手の気分を害さないよう、波風をたてないようアヒルボートを漕いできたのが今の私である。
そう、まさに擬態。
最初に言っておくが、擬態の意味で”攻撃や自衛のため”とあるが、間違いなく私は混ぜ物なしの100%純粋に後者である。
~二章 擬態人(小中編)~【Ver.15.2】
小中と上記の様子で当たり障りのない平凡な擬態生活を送った。
~三章 擬態人(高校編)~【Ver.18.3】
高校のとき運動部に入った。(中学の時は文化部)
それも、友人に誘われて。
「一緒に入部しようぜ!」
その部活に全く興味のない私が。
なんなら運動部なんてキツいから絶対入りたくないとさえ考えていた私が。
断ったら嫌われそうだし、友人と一緒なら、と入部した。
友人は3ヶ月で先に辞めた。
かたや自分、辞めると言えず、3年間やり通した。
結論、上下関係・礼節・鍛錬・自信と、これらの経験は自分の中で大きな財産となった。
ここで私は擬態人として大幅にアップデートした。
多少自分の意見が言える擬態人に。
~四章 擬態人(大学編)~【Ver.22.4】
東京の大学に進学した私。
入学するにあたり、両親から最初の一年だけ大学の寮に入ってくれと言われた。
ワクワクしていた東京での一人暮らし。
それが遠のくのは正直嫌だったが、その反面寮生活が楽しそうという気持ちも少なからずあったのも事実。
今思い返すと、私の主体性の無さを両親は見抜いていたのかもしれない。
いざ入寮。
高校で鍛えられていた私はガタイがよく、尚且つ無口だった。
周りからはそうそう近寄ってこない。
当たり障りのない関係を周りと築きつつ、まったくと言って良いほど波風のたたない一年間を過ごした。
一章の途中に書いたが、”波風をたてない”という願望がひょんなところで叶ったのである。
これも今になって思うと、周りが不快にならない空気感や波長に擬態していたのかもしれない。
そして大学二年、夢の一人暮らし。
、おや、三年
、、あらま、、四年
気づくと卒業になっていた。
決して書くのが面倒になった訳ではない。
なぜここまで一気にきたのか。
そう、卒業まで華麗に”擬態”していたからである。
大学生としての、一般的・模範的な生活に。
朝目覚め、授業に行き、バイトに行き、飲み会に行き、夜眠る。
私、擬態人としては、最高の大学生活であった。
~五章 擬態人(就職編 in 東京)~【Ver.27.4】
卒業し社会人になった私。
先に申し上げておく。
東京にいる間、複数回転職を繰り返したことを。
就職先は、飲食店・販売員と総じてサービス・接客業が主だった。
学生とは違うもので、やはり社会人は厳しいものである。
仕事がうまくいかず、お客様とのクレームであったり、先輩上司の顔色を窺い仕事をする。
もちろん、自分が原因のことのほうが圧倒的に多い。
しかし、そうでないときも皆さんは経験があるのではないだろうか。
”すべて自分が悪い”
そう思うことで、納得している自分がいた。
~最終章 擬態人(回帰)~【Ver.27.5~現在】
しばらくして、家庭の事情で地元へ戻った。
転職先は営業職。
業者ー”営業”ー得意先
要は、”得意先の必要なものを業者から仕入れ届ける”架け橋のようなもの。
細かいところは省くが、察しの良い皆さんならおよそ想像はつくだろう。
ここで私は、自分が”何者”かわからなくなった。
擬態し続けた代償なのかもしれない。
しかし私は擬態し続けた。
生きるために。
そして、現在に至る。
最後に
いったい自分は何者なのだろうか。
私の中には、出会った人の数だけ、擬態した自分がいる。
擬態した自分、これが良いことなのか悪いことなのか、プラスなのかマイナスなのか、正解だったのか間違っていたのか。
今ここで気づいた。
どちらでもなければどちらでもいいと。
なぜならこれは、長い長いメモなのだから。