(11) 私にとっての10年間(2013~2016年編)
みなさま、お初にお目にかかります。
(ちょこちょこと先輩方の記事には登場させて頂いておりました~!)
ピーアンドエル スタッフの高山です。
ここ数回にわたって、10年前(2013年)から少しずつ
我が事務所が手掛けた建築パース過去作品の振り返りをしているわけですが、
実は私がピーアンドエルに勤め始めたのも約10年前。
2013年6月11日からチーム ピーアンドエルの一員となり、
ピーアンドエルと共に、10年という年月を重ねてきました。
節目の年ということもあり、
私自身もこの10年間を振り返ってみようかと思い至り、この場をお借りして
私からは「高山成長物語」という形でnoteをお届けできればと思います。
(誰が興味あるねんという方、まさにその通りでございます、すみません。)
宜しければどうぞお付き合いください。
さて…ここで早速 1年目のお話をしたいところなんですが、
実は勤め始めて10年というのは少し盛ってるといいますか…(いきなり嘘情報)
専門学生の頃からのインターンシップ期間も含めているので、
1年目はほぼほぼ、事務所の雑務やちょっとしたお手伝いをさせて頂いた程度。
当時飼っていたグッピーの水槽を掃除したり、
過去の作品の統計をとってみたり、
水彩の練習をさせてもらったり…
あれ、あまり何の役にも立ってないですね…。
もう1年目の話はこの辺にしときましょうか…。(早)
というは冗談で(笑)
そもそもド素人の学生にいきなり描き出せるはずもなく、
みなさん忙しく時間もない中、
1から手取り足取り丁寧にパースの描き方を教えてくださいました。
初めてピーアンドエルのパースを目にした時、
こんなの私に描けるわけがない…!!!というのが正直な感想でした。
それくらい素敵で、ものすごい技術が詰まったプロの作品たち…。
でも、これ描けたらめちゃくちゃかっこいいな。
素敵な作品への憧れと、事務所のあたたかな雰囲気。
直感的に「ここで働いてみたい」と感じました。
けれど、専門学校の先生に勧めて頂いたご縁での就職だったので、
そもそも自分がパースを描く仕事に就くだなんて1ミリも思っておらず、
絵は好きだけど上手な訳じゃないし…自分に務まるのだろうかと
漠然とした不安がずっとありました。そんな1年目。
そして正式に勤め始めた2年目、
なんということでしょう。
ワタクシ、2014年9月から訳あって大阪へ。
ここで今一度確認ですが、ピーアンドエルは福岡にある事務所です。
…え?大阪???
今の私なら、当時の私にこう言うでしょう。
「あんた、まだ入社して4ヶ月なのに仕事どうするん!?!?」と。(ほんとそう)
実は訳あって、その頃はどうしても
大阪に行かねばならないという使命感に駆られていたので(どんな)
本当に辛い決断ですが、仕事を辞めさせてほしいと所長にお願いしました。
でも、本当は仕事辞めたいわけじゃないんです。という
私のトンデモ矛盾発言を所長が汲んでくださって、
それならテレワークで仕事してみない?とご提案くださったんです。
本当に、神様かと思いました。(※今も思ってます)
ピーアンドエル史上、最速で退職を申し出たであろう私を
所長も、先輩スタッフの大石さん、藤城さんも
誰一人として責めたりせずに、また仲間として優しく送り出してくださいました。
なんとも非常識で自分勝手な大馬鹿小娘に優しくしてくださったみなさんに、
少しでも恩返しがしたい。
でも、事務所に通い出して1年以上経っていたとはいえ、
パースに関してはまだまだ素人のソレ。
大阪にいながらの作業は今思えば、
とりあえず任された仕事をきちんとこなすこと。
それだけを念頭に置いて取り組んでいました。
自分なりに頑張ってはいましたが、よくわからないことも多い中、
とにかく言われたことだけはしっかり頑張ろうという心持で作業していたので
どんな仕事をしていたかなどの記憶は 実はかなり薄いです…。
そんな中でも、度々思い起こされるのが
2015年の「杵築図書館」のプロポーザル案件。
前に藤城さんが書いてくださっていた記事(※1)にも登場した、
総パース枚数14枚という、大案件です。
(※1)「次につながる作品が出来た2015年」
とにかく所長が線画を描いて、藤城さんが着色。
藤城さんがメインパースをご担当されていたので、
私も結構小さなカットの着色を担当させてもらいました。
と言っても、人物や小物のみがほとんどですが。
この頃はまだ、私が塗りを担当したとしても最終調整は藤城さんや大石さんがやってくださって、手間をかけて申し訳ないな とか、自分が塗って大丈夫かなという不安も大きかったです。どこの色味をどう調整してくださったのか、とにかく見て感覚を覚えようと必死でした。
みなさんの足を引っ張らないように、早く自分も上手に描けるようになりたかった。でも一向に埋まらない差をひしひしと感じて、どこか上手くなることを諦めていた節もありました。(今思えば、10年以上勤められているお二人に2年そこらの私が追いつけるわけがない(笑)色々と若い。)
少しでも力になれればと、仕事を頂ける有り難みを感じながら
必死にこなしていた2年目。
そんなこんなで3年目、またまた大きな出来事が。
2016年9月、丸2年住んだ大阪を離れ、訳あって福岡に帰ることに。
(どんな訳があってそんなことになるんだよって感じですよね。)
(ほんとそれです(ジャンピング土下座))
完全にこちらの都合で事務所のみなさんを振り回してしまって本当に申し訳なかったんですが、福岡に戻った時、私が勝手に帰ってきたのに所長は「帰ってきてくれた」と言ってくださって…
自分はなんて恵まれているんだろうかと 改めて感じ入りました。
こうして、また福岡の事務所に通う日々が始まりました。
この頃からでしょうか。
プロポーザルのショットパースなどは
徐々に線画からマスキング、着色まで1枚まるっと担当することが出てきました。それまでは住宅の外観パースと団地の区画イラストをメインで担当していたので、プロポに関わるのはせいぜいマスキングとちょっとした着色くらいだったのですが…事務所勤めに戻ってからは、いろんな物件に積極的に関われるようになりました。
この頃からやっと、前よりちょっとは上手になったのかも!と自信がつき始めて、仕事への向き合い方も少し変わった気がします。
それまでは恐々描いていて、なんなら自分はみなさんのサポートだけして
仕上げは先輩たちに任せたい気持ちが強かった。
なぜなら、そうした方が絶対に素敵なパースに仕上がるから。
でも任せてくださる以上、少しでも見劣りしないよう努めなくては!!
更なる向上心の芽生えと、描くことの楽しさが少しわかってきた3年目。
ということで、今回はここまで。
読み返してみると自分のパースの腕に関してかなり悲観的ですが(笑)
ご安心ください。未来は明るいです。(?)
でも残念なことに、私の人生にはもう一波乱あります。(訳あって)
ですが楽観的なことが唯一の取り柄と言っていいほど
根っからのポジティブモンスター故、
ワタクシ、ちょっとやそっとのことではめげません。
ここからもっと、パースの楽しさに気づいてゆきます。
長くなりましたが、お読みになっていただきありがとうございました。
よろしければ次回も、高山の奇妙な冒険にお付き合いくださると幸いです。
(いらん補足情報)
サムネイルは悩みに悩んで、
勤め始め1年目あたりで練習で描いた内観パースでしたとさ。