
千積読記2月第5週-3月第4週(2/26-3/25)
2月第5-3月第1週(2/26-3/4)
読めなくなった、という事実と十数年間格闘し続けてきて、それで漸進以上の成果が出ていないのだとしたら、いつまでもそれを「もっと頑張ればできるはずのこと」として考え続けるよりも、「機能的に難しい挑戦である」という現実として受け止めた方が良いのだと思う。
気持ちの問題だとか、記録をしてみるだとかで解決するぐらいなら、当然とっくに解決しているに決まっている。
はた目には、この読書記録も早々に空中分解しつつあるように見えるかもしれないが、読めない状況との取っ組み合いを記録してみることには、おそらく一定の意味がある。
ぼくはとかく定期的な記録というものが苦手で、何となれば読んだ本を記録するようになったのも、ここ数年のことだ。
どれぐらいペースで本を読まねばならないか、という現実を直視することが可能になっただけでも大きな前進と言えるだろう。
どのような手段を以って現状打破を試みたか、ということを記録するだけでも、同じ轍を踏み続ける円環からは、脱出できるに違いない。
ここまで読んで、一度でも「それで、今週何冊読んだの?」という疑問が浮かんだひとは、そっと墓場まで持って行ってほしい。
3月第2週(3/5-3/11)
二月末にさっそく使った手前、そう何度も「忙しい」と言い訳はすまいと思っていたはずだったが、今週の記録の冒頭として、その単語は3度ほど頭をよぎった。
積んであるものであれば、漫画も記録の一部として認める、という基準緩和カードは、はやくも初回に切ってしまっている。
新たな方策を模索する必要がある。
3月第3週(3/12-3/18)
読書に手を付けていないどころか、常時本を持ち歩き、ことあればすぐに読もうとしているのだが、数ページ読むうちにすっかり眠くなるという事態を繰り返すこと数度、要は進んでいないのである。
手にした本が面白くないのかと言えば大変に面白く、意識が遠のく理由はまったく見当がつかない。
このようにして、本を読み始めてはベッドサイドに置き、またさらに別の本を読み始めてはベッドサイドに置き、ということを繰り返すうちに、ベッドの端は万里の長城のごとくになった。
滑落防止にブックエンドを活用していたが、それに飽き足らずベッドサイドに専用の棚をDIYで設置した。ベッドの頭部分に少々の余裕があったので、これまたDIYで専用の読書とPC作業用デスクも製作し、その上にも本がずらりと並んだ。ただしこちらは、寝ているときにコップを倒すという事故に懲りて、現在本は撤去されている。
そんな状態のベッドで、一体どうやってシーツを交換しているのか?という問題にお気づきの方もあるだろう。
そう、もちろん毎回本も棚も、作業用デスクに移動させてからシーツを交換しているのである。
あらゆることが本末転倒に見えるかもしれないが、床に本は置きたくないし、読みかけの本とそうでない本が混ざるのも嫌だし、さりとて本棚に余裕はなし、というすべての状況を交錯させるとこのような事態があらわれるのである。
あらわれるのである、じゃないよ。何を言っているんだほんとうに。
早く読んで問題を解決しろ。
理想はリーディングヌックを設けることだが、リノベーションのハードルがあまりにも高いので、今のところ実現の見込みはない。
最大のハードルが何かと言えば、それは価格や時間ではなく、部屋を埋め尽くす本を片付けて、工事可能な環境を用意することである。
引っ越すことがあればそれがチャンスだろうが、今のところ予定はない。
そんなわけで、読みかけの本の山に囲まれながら暮らしている。
ベッド幅とシーツ交換では不自由しているが、案外不満はない。
もっと不満を持て。
3月第4週(3/19-3/25)
『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫/中公文庫)
amazonで書影を探して気が付いたのは、どうもこの本は、中公文庫、新潮文庫、角川文庫の3社から出ているらしい。
中公文庫では、版を刷新して出し直しているらしく、ぼくのもっているお気に入りの版は、古書で目をむくような高額がついていたので、ぜひご覧になっていただきたい。
いまや一種の古典とも言うべきエッセイなので、ぼくなどが今更くどくどしく内容やら感想やらを述べる必要はなかろうと思う。
とはいえ何の説明もないというのも不義理に過ぎるので簡単に。
漁業研究船に船医として乗り込んだ著者が、その航海の様子を描いた本。はじめに書かれたのは1950年代前半だから、実に70年前の話である。
読みやすい文体と著者独特の軽妙さが魅力のエッセイだが、ぼくはこの時代世界各地に存在した”港町”の風景とありようを思い描きながら読んだ。この本からは、かつての港町が、どれほど人や文化が生身でぶつかり合い混ざりあう場所だったかということの欠片が匂いたってくる。
歴史上長い間、港町はこの本に描かれたような世界だったのだが、いまとなっては、このような存在感がかなり薄れてしまっていることを、そういう沿岸都市のひとつに住んでいた身として実感する。
いいなと思ったら応援しよう!
