ワシントンホテルも売却候補だった藤田観光
経営難の藤田観光が売却方針を示していた大阪市都島区にある老舗宴会場「太閤園」について社長がワシントンホテルも売却候補だったことを告白しています。
「太閤園」の買い手は創価学会
経営難の藤田観光が売却方針を示していた大阪市都島区にある老舗宴会場「太閤園」について、買い手が創価学会だったことが分かった。購入は3月22日付。地元では有名な挙式スポットでもあり、ゆくえが注目されていた。
藤田観光が運営する巨大なホテル 創価学会は朝日新聞の取材に「仲介業者の紹介があり、取得した」と認めた。一方で使い道については回答を控えており、「いずれ発表する」としている。
藤田観光は、東京で「ホテル椿山荘東京」を運営するほか、ワシントンホテルやホテルグレイスリーなどを全国で展開。コロナ禍で業績が低迷し、2020年1~12月の決算で純損益が過去最大の224億円の赤字になった。債務超過の寸前まで追い込まれ、資金確保のため太閤園の売却を余儀なくされた。
太閤園の開業は1959年。明治時代に関西財界で活躍し、藤田観光のルーツにもかかわる藤田伝三郎氏の邸宅跡地に立つ。
2万平方メートルを超える日本庭園に築100年余りの料亭がある。藤田観光は今年2月、売却方針と6月末での営業終了を発表したが、売却先は公開していなかった。
出典:朝日新聞デジタル
さらに社長のインタビュー記事でワシントンホテルの売却も考えていたことがわかりました。
「椿山荘も売却の選択肢だった」 太閤園手放す藤田観光社長の苦衷
藤田観光はコロナ禍による業績悪化を受け、大阪の結婚式場や宴会場として知られる「太閤園」(大阪市)を売却する。売却先や売却額は明らかにしていないが、2021年1~3月期に約329億円の特別利益を計上する。藤田観光は20年12月期の自己資本比率が1.2%と、債務超過寸前に陥っていた。
6月末で営業を終了する太閤園は、鉱山業などで財を成した藤田財閥の祖、藤田伝三郎氏が建てた邸宅がルーツ。伝三郎氏は米国で革靴の製造方法を学び、西南戦争で軍靴を大量に明治政府軍に納めたことから、莫大な利益を得る。その後、明治政府から秋田県の小坂鉱山の払い下げを受け、鉱山事業などで財を成した。戦後になると、藤田家の邸宅や別荘を一般に開放し、観光事業を開始。それが藤田観光のルーツだ。
太閤園は、明治の元勲、山県有朋から譲り受けた椿山荘(東京・文京区)、箱根の観光スポットである箱根小涌園とともに、藤田家から受け継いだ資産で、藤田観光のシンボルのひとつ。会社の象徴でもある太閤園を売るに至った背景を、伊勢宜弘社長に聞いた(聞き手は白井咲貴)。
――2月12日に太閤園の売却を発表しました。
伊勢宜弘・藤田観光社長(以下、伊勢氏):手を打たなければ、2021年1~3月期に債務超過に陥るのは明らかでした。新型コロナの感染第3波で、大都市圏を中心に人の移動にストップがかかった。これでは危ないと思って、昨年11月半ばから財務体質の強化に向けて動き出しました。太閤園の売却が決まったのが、今年1月の中旬頃。苦渋の決断ではありましたが、会社を潰さないためには売らざるを得ませんでした。
●「蜘蛛の糸」だと思いファンドとも交渉したが……
――増資や金融機関からの支援は検討しなかったのですか。
伊勢氏:お頼みしました。でも先を見ると難しいと。
お取引のある30社ほどにも増資のお願いに行きました。でも(要請に応じてくれそうなのは)10社にも満たない程度。しかも額も我々が想定していた額には程遠いものでした。
――筆頭株主であるDOWAホールディングスとは交渉したのですか。
伊勢氏:もちろん。ただ、先方の決算にもマイナスの影響を与えています。ですから、「何とか違う方法を考えてくれ」ということになりました。
実は、最後の「蜘蛛の糸」だと思って、ファンドとも交渉しました。でも資産売却のみならず、様々な厳しい条件を突きつけられました。自分の代だけでなく、後世にも会社を引き継ぐ責任があります。だからきっちりお断りしました。
――資産売却しか手段がなくなった。
伊勢氏:株式や、使っていない土地、建物を含めて売ってきましたが、それほどプラス効果がありませんでした。
やはり、今営業しているようなところでも売れるものがあったら売るしかない。潰れるよりはそっちの方がまだいいだろうと思いました。
ワシントンホテルも売却候補だった
――資産の中で、太閤園を売却の対象に選んだのはなぜですか。
伊勢氏:結果的に太閤園になりましたが、聖域なく検討しました。椿山荘(ホテル椿山荘東京)もワシントンホテルも全て売却の候補でした。なんとか3月31日までに資本性のお金を入れなければと思い、銀行さんに間に入ってもらって動いていただいた中で、引っかかったのが太閤園です。椿山荘に買い手がつけば、椿山荘になった可能性もあります。
太閤園の売却は何としても成功させたいという気持ちだったので、不動産や法律に強い人間で社内プロジェクトチームをつくり、銀行さんと議論しました。だいたい条件が整ったのが1月。そこから契約の最終条件を決めて2月12日に取締役会で決議し、ギリギリですが債務超過を回避できました。
出典:3/30(火)日経ビジネス
ワシントンホテルと言えば、コロナ前まではドル箱でしたからびっくりですね。
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