瞳ちゃん
女の恋は上書き保存、男の恋は別名保存というけれど、本当に男というのはいつまでも未練たらしく女々しく、昔の恋を心にしまいこんでいるものである。そんな別名ファイルに保存したおっさんの戯言だ。
瞳ちゃんと出会ったのは、とあるゲームに関するオンライン掲示板だった気がする。当時その界隈では多くの繋がりがあって輪ができていたが、瞳ちゃんはその輪からは少し離れた存在だった。
イラストが上手で一目置かれていたが、いつも話すようなメンバーではなかった。
界隈メンバーは不思議なことに関西や四国のメンバーが多く、オフ会も盛んだったが、彼女のいた東北はメンバーが少なくオフ会もゼロで、彼女はオフ会に憧れていた。
18歳の春、初の一人旅を終えた私は、夏旅は東北・北海道と決めていた。かくして18切符を握りしめ北へ向かい、真っ先に行ったのが瞳ちゃんの住む秋田のとある街だった。
待ち合わせの駅で17歳の彼女は高校の制服姿で現れた。他であまり見かけない淡い色の制服が似合う、可憐としか言いようのない色白で可愛らしい子だった。
その日は函館から札幌行きの夜行列車に乗らなければならず、乗り継ぎの都合で秋田に滞在できる時間は2時間。駅前の喫茶店で他愛もない会話をした。彼女にとっては念願のオフ会、楽しい時間はあっという間だった。
別れ際に彼女は手紙をくれた。別れを告げた僕は、さらに北に向かった。まだ新幹線はなく、在来線で青函トンネルを越えるのだが、初めて一人で本州を離れると考えたら随分遠くに行くなぁと、ふと心細くなった。
そんな気持ちでなにかにすがりたくて、瞳ちゃんからの手紙を読んだ。柔らかで丁寧な文字で書かれた手紙に何が書かれていたのかはもう記憶の彼方だが、思いやりのあるあたたかな手紙であった。(男は未練たらしいので実家を探せばワンチャンしまってあるかもしれないが)
暗い青函トンネルの中で不安の心を支えてくれた手紙だった。
ちょうどその旅の終わりに春の関西旅でオフ会した同い年の女の子から告白メールが来て付き合い始めたこともあり、学生時代の主戦場は西の方だった。
旅自体がなかなか北に向かう機会がなかった。
社会人3年目でようやく長い休みが取れた。その休みを使い、北へと向かった。1年目に2泊で神戸、2年目にも同じく2泊で米沢と短い旅はしてきたが、長めの旅は久々だった。
なお、神戸の時は行きのムーンライトながらで同席になった酔ったヤクザに鬼ごろしを飲まされまくって色々あったり、米沢では雪の中遭難しかけカラスの群れに狙われたり色々あったが、それは別の機会に。毎回嵐を呼んでしまうのだ。
北への旅の途中、瞳ちゃんにもあうことになった。24歳、あれから6年も経っていた。
高校生の可憐さとはまた違う美しさを兼ね備えた彼女。前回喫茶店で話してた時は、狭い街なので同級生に見られて、見かけない男とデートしてるとしばらく学校で話題になって大変だったと笑って話してくれた。同時に6年経っても鮮明に覚えている大事な日になったとも。
今回は時間も十分にあり、彼女の運転で白神山地や日本海側をドライブした。もともと音楽の趣味が一緒なこともあり、彼女チョイスのBGMにも盛り上がりながら、夕日が影を落とす運転席の彼女と終日過ごした。
ホテルまで送ってもらい、翌日はまた函館に向かった。東北を周遊したあと帰りの新幹線を待ちながら、おかげで楽しかったとメールした。次はこんなに間隔を開けずに会いに来てね、と返信が来たとき、僕は無性にもう一度彼女と会いたくなった。
彼女の住む街は東京とは逆方面だけど、少しだけなら会いに行けるのではないか。でも下りの新幹線を待っていたら間に合わない。たしか、その駅を通過する新幹線に、新幹線一駅分移動すれば乗れたのだったと思う。気がつけば後先考えずタクシーに乗りこんでいた。タクシーメーターは8000円くらいだったか、その甲斐あって下りの新幹線をつかまえられた。
間隔を開けずに今から行くよ、と、そこだけ切り取れば傍迷惑な押しかけであるが、きっと当時は相手の方からも冗談半分、すぐ会いたいと言っていたような空気だったのだ。数日ぶりの再会。さすがに飛びついてハグはしなかったが、手を繋いで歩いてしまうくらいにはお互い嬉しかった。もう答えは出ていた。どちらからともなく、瞳ちゃんと付き合うことになったのだ。
数カ月後に東京に来た瞳ちゃんと楽しく過ごして、少し出世したら東京で一緒に暮らそうと話していたのだけど、あの日羽田で見送ったのが最後の背中になってしまった。別れたのはきっと些細なボタンの掛け違いだろうけど、短い恋で終わってしまった。あのとき自分にもう少し優しさがあったら、もう少し大人だったらよかったのだろうか。
いまや新幹線となり感傷に浸る時間もないほど時間短縮された青函トンネルだけど、ここを通ると、ふとそんな時代を思い出すのである。
なのでまた今日も空路ではなく陸路にこだわり函館に来てしまったのかもしれない。