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二児の親父が叶えたい夢
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例えば、私が彼らの親だったとする。
大谷翔平には「将棋」を、
井上尚弥には「野球」を、
藤井聡太には「ボクシング」をやらせてみる。
今の彼らはそれぞれの一流に居るだろうか?
雲の上の存在となっているだろうか?
もちろんNOだろう。
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最適な才能。
大谷翔平には「野球」を。
井上尚弥には「ボクシング」を。
藤井聡太には「将棋」を。
吉田沙保里には「レスリング」を。
吉成名高には「ムエタイ」を。
大坂なおみには「テニス」を。
羽生結弦には「フィギュアスケート」を。
鳥山明には「漫画」を。
黒澤明には「映画監督」を。
美空ひばりには「歌手」を。
界隈で一流と呼ばれる彼、彼女らは
その才能をいかんなく発揮している。
自分の「最適な才能」を引き当てられたのだ。
人間、誰しもが何かしらの「才能」を必ず持ち、それを磨く事で才能が「特技」となり、特技を活かす事で「天職」につく事ができる。
重要なのは自分の「才能」をいかに早く見つけられるか、それを伸ばす「気概」は持ち合わせているのか、そしてそれを伸ばす「環境」は整っているのか。
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才能のタネ。
私がこの持論に行き着いた経緯として
「花さか天使テンテンくん」という漫画がある。
人には「何かしらの才能」が種(タネ)として存在し、努力によってその種を育てて開花させるとその界隈で一流になれる。しかし多くの人が怠けたり気付かなかったりで花を咲かせられずに一生を終えてしまうというものだった。
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この漫画を小学生の頃に読んでから今もずっと自問している。
「私の才能ってなんだったんだ?」
この歳になってもう諦めてはいる。今更自分の才能が「格闘家」だと知らされても到底間に合わない。一応腕立て伏せはやるが他人を蹴りたくなんかない。
もちろんこれらの才能はなにも「競技」に限った話ではない。
「コミュニケーション能力」や「洞察力」、「ユーモアセンス」や「動体視力」といった様々な分野で輝く才能を秘めている可能性だってある。
「何故か人から好かれる才能」や「集中力が半端じゃない才能」、「誰よりも空気を読む才能」だってあるに違いない。
自分の天職が「スポーツ選手」なのか「お笑い芸人」なのか「経営者」なのかなんて当たり前だが誰にも分からない。
そもそも、それが「最適な才能だった」なんて一生分からない。もしかすると大谷翔平の真の才能は「絵心」なのかもしれないし。
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上には上がいるから嘆きは時間のムダ。
これも持論。
何事も上には上がいる。どんな事にも。
もちろん、一番上に位置する人間にはそれがいないが、その人たちは特別に光った才能だったんだろう。皆がそれを持ち合わせてはいないんだから悲観する暇があるならテトリスでもしていた方がマシだ。
ひとつ疑問がある。
どこまで才能を磨いてもいずれ限界が訪れ、そしてその時にまだ「上」がいる場合、果たして「あ、この才能違ったわ」となるのか?
才能の当たり外れの判断。
一体いつ見切りをつけるべきなのだろうか?
当然、今まで続けてきた事が無駄だったなんて思いたくはない。
どんな事でもそりゃ「昔取った杵柄」となると考えれば無駄にはならない。が、費用対効果で考えるとどうしても後悔してしまうのではないだろうか?もっと違う事にお金と時間を費やしていたら…と。
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遅咲きの一流だっている。
天才と称されていた「競艇」の瓜生正義は最高グレードであるSGを制覇するのに12年もかかってしまっている。プレッシャーが強すぎたのか、周囲の期待が裏目に出たのかもしれない。
私が三度の飯よりも好きな「ケンタッキー」
誰もが知る伝説の「起業家」カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを創業したのは65歳の時だったとの事。
最終学歴は小卒のサンダース。陸軍やペンキ塗り、秘書に車掌にセールスマンと書き切れないくらい多くの仕事を転々とするも、どれも上手くいかなかった。
ダメ人間とさえ思えるサンダースはある日、ガソリンスタンドの経営がターニングポイントとなり、窓ふき等のホスピタリティやカフェの併設が大当たり。そのカフェのメニューで一番人気だったのが他でもない「フライドチキン」だったそうだ。
三度も破産した波瀾万丈な人生の末に「ケンタッキーフライドチキン」をバズらせたサンダース。もはや才能と呼んでいいのか分からないが、あえてカテゴライズするならば挫けない心「鬼ポジティブ」なのかもしれない。
↑サンダースの人生に関する参考記事です。
面白かったので是非。
他にも、「作家」の石田衣良が小説家になると決心したのは36歳の時であり、「画家」のゴッホが印象派の絵を描き出したのは33歳。「発明家」のジェームズ・ダイソンがサイクロン式を開発して掃除機の概念を変えたのは39歳の頃で、なんとそれまでは妻のヒモだったとか。
要するに、挫けずに続けたらいつか大きな花が咲くパターンの才能だってあるという事だ。おかげさまで「諦めるタイミング」は完全に分からなくなってしまった。
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とどのつまりは「運」であるという事。
冒頭に触れた一流たちは皆がおそらく「自分の好きな事がたまたま自分の才能だった」パターンだろう。
しかしながら、「野球が大好きで小中高と続けてきたけど実はその人の才能はサッカーだった」なんてパターンもあると思っている。
好きな事=才能ではないという事だ。
私は小2年から高3年まで必死に「サッカー」を頑張ってきた。が、もちろん花は咲かずに今は当たり前のようにサッカーから離れている。今リフティングをしたら10回いかずに膝が大笑いしだすだろう。
私の才能はサッカーではなかったのだ。
そもそも、なぜサッカーを始めたのか。別にサッカーが好きだったわけではない。兄の影響だった。
幼少期にスポーツを始める動機なんて『兄、姉がやっているから』『親のススメ』『仲のいい友達がやっているから』が大半だろう。要するに他人によって決められた「運任せの才能当てチャレンジ」なのだ。
そういう意味では「自分が好きだから始めた」人たちを羨ましく思う。
私は幼少期「本」と「服」が好きだった。これを伸ばす行動を取るべきだったと後悔している。
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専門卒の離職率が90%を超える職業。
専門学校を卒業し晴れて理想の職に就けた人。その人たちがその後も同じ仕事を続けている確率はどれくらいあるのだろうか。
美容師や看護師、服飾師や調理師と他にも数多くあるが、これらの専門学校を卒業してそれぞれ専門の職に就いた人の3年後の離職率は4割を超えているらしい。
調理師の10年後の離職率は90%を超えているとの事。
服飾卒が20年後にアパレル業界で正社員にいる割合も2割程度なのだとか。
これが多いのか少ないのか判らないが、専門学校に行った経緯が「夢」ならば、なんだか寂しい気持ちにもなる。理想と現実の違いに冷めたのか、才能に限界を感じたのか、他に目的が出来たのか、理由は人それぞれだろうが総じて「違った」事だけは確かだろう。
ただ、中には才能も気概もあるが「環境」のせいで諦めざるを得なくなった人もいると思う。
この「環境」をかなり重んじる。
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私と妻が娘たちに出来る事。
妻の育児方針は「子の意思を全面的に尊重する」なので、子がやりたいと言えばとりあえずやらせてみる。たとえすぐに飽きたとしても構わない。この辺は私も全く同意なので仲違えずに済んでいる。
現在8歳と2歳の娘たち。
彼女たちの「才能」はまだ分からない。
長女はピアノも上達スピードが速いしスイミングも着実に実力を付けている。習字はもはや私よりも上手だし英語力も「茄子」を「エッッパァァァァァァァァァアン!!」と言うあたり相当なレベルにいる。
次女は爆食具合から「フードファイター」の才能があるかもしれないし、我が強すぎる為「アーティスト」になるかもしれない。誰彼構わず鬼絡みをする事から「人たらし」の才能を秘めているかもしれない。
2人ともこの中に「最適な才能」が紛れているのかもしれないし、全くもって違うものなのかもしれない。
果たして彼女たちは自分の才能を見つける事が出来るだろうか。
もちろんそれは「分からない」し、正解だと分かる時が来るかすらも「分からない」
なので、私と妻に出来る事はただ一つだけだ。
いつでも全力でバックアップできるよう環境を整えておく事。
見守り、応援し、サポートする。
共に一喜一憂し、親身に寄り添う。
そうしていつか花が咲く事を願っている。
これが私の「叶えたい夢」であり目標である。
まぁ、そもそもの最終目的は「娘たちの幸せ」なので、もし才能が見つからなくてもそれを楽しんだのであれば正直なところ問題はない。
来たる先行投資に向けて
今日も頑張って仕事をしよう。
また書きます✍️
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