長男のホームシック
シンガポールからこんにちは、パンダママです🐼
私たちは2020年1月からシンガポールで暮らし始めました。
コロナ幕開けと共に1年4ヶ月暮らした頃に、一時帰国。
1ヶ月の束の間の滞在の予定が、シンガポール側の入国規制、次男の出産、ビザ取得の遅れなどで、一年間岡山にある実家で暮らしていました。
長男は帰国当初2歳3ヶ月。
そして、日本を再度離れたのは3歳3ヶ月。
この一年間の成長は目まぐるしかったです。
確かな事は、物心がこの一年でついたと言う事実。
身体の成長、心の成長、おしゃべりの上達。
弟も生まれてガラッと環境が変わる。
そんな大切な一年間を彼は祖父母の家で過ごしました。
息子はじーじが大好きで、朝目覚めると、早起きのじーじを大声で呼ぶ。仕事からじーじが帰ってくると、家中ひょこひょこと付き纏う。
お昼寝はじーさんの抱っこ&口笛子守唄でゆらゆらしてもらい寝る。
夕方には2人で手をつないで、近くの酒屋さんに行ってビールを買うついでにお菓子を買ってもらう。そして夜は一緒にお風呂に入る。
次男出産後、夫は1ヶ月でシンガポールにもどりました。父不在、母は赤ちゃんの世話で慌ただしくしていたころ、長男はじーじの存在で穴埋めしていたようにも思えます。
私の母は童画家という仕事柄、家には動物や植物などの可愛い作品がたくさん。
バーバのアトリエに侵入しては、資料や作品を物色しては、自分のテリトリーに持ち込んで楽しんでいました。
1日に一度は大体現れる近くに住む曽祖母(88歳)とは折り紙をしたりブロックをしたり歌を歌ったりして遊んでいました。
家族との時間が息子の心と言葉の成長につながったのかなと思います。
そしてシンガポールでは感じられない四季も経験。
夏が来れば暑くなり、蝉が鳴く。
秋が来れば涼しくなり、葉っぱが色づく。
冬が来れば寒くなり、雪が降る。
そして春が来れば暖かくなり、桜が咲く。
こんな日本人にとっては当たり前の季節の移り変わりを経験することが出来ました。
そして4月になり、半年離れていたパパが岡山に迎えに来てくれました。
もちろん長男は大喜び
(ちなみに8ヶ月の次男はいきなり現れた父親に大泣きし、ハイハイで逃げ回っていました。)
久しぶりの家族の時間、念願の白浜にパンダを見にいく旅をしたり、義妹夫婦の結婚式に参列しました。
そして慌ただしく準備や手続きをこなし、5月3日の出発の日を迎えました。
飛行機に乗ることやシンガポールに行くことは彼にとって一大イベント!
移動中もウキウキが止まらず、手がかかることもなくシンガポールに戻ってきました。
久しぶり、だけどすっかり記憶にない我が家には、ややはしゃぎ。おもちゃでひとしきり遊び、ご飯を食べて落ち着いた頃
『○○ちゃん、もう帰るわ!』
と言い出しました。どこに?と聞くと
『○○ちゃんのお家、じーじとばーばのいるお家!』と。
そうきたか!と思いました。
この一年、シンガポールのお家の話を繰り返ししてきました。もうすぐパパのいる家に帰るよとも何度も話していました。
本人もシンガポールに帰ると何度も言っていました。しかし、彼の中でちゃんとイメージはできていなかったよう。
じーじとばーばのうちが彼の家となり、
岡山弁も話し、魂はすっかり岡山県民。
その晩から
『おうち帰る、ジージとバーバのおうち帰る』という日々が始まりました。さらっという日もあれば泣き叫びながら言うことも。夜中に泣きながら叫ぶこともありました。
思いがけないホームシックでした。
"子どもは柔軟だからすぐ環境になれる"
とばかり思っていたからです。
3歳まで完全家庭保育で、帰国早々言葉の通じないスクールに入り心細さもあったのでしょう。
なんだかこちらまで貰いホームシックしそう。
さらにコロナや胃腸炎など体調不良も相まって、長い間ホームシックは続きました。
最初は
『じーじとばーばのおうち帰る』
だけだったのが
『ここはパパの家なんよ、○○ちゃんは飛行機乗ってじーじとばーばのお家帰るんよ、ひとりで』
と言ったり。
もはや寂しくないのでは?と思った頃、ちょうどスクールにも慣れたのか、長かったホームシックは終了しました。1ヶ月くらいは言っていたと思います。
ホームシックが落ち着いた頃の七夕の短冊にも、お願いを込めていました。
2歳から3歳のちょうど物心つく頃に過ごした環境は息子にとってとても大きかったよう。
そしてじーじとばーばの存在も。
息子にとっても私にとっても両親にとっても貴重な時間だったなと思います。
また来年、一時帰国出来る日、どのくらい彼の中に記憶があるか楽しみです。
パンダママでした🐼