虐待だったかもしれない。

眠れない夜に、ふと思い出すのは、幼いときの記憶。

私は、ぼーっとした子どもだった。ビビりだし、不器用だし、飽きっぽくワガママだった。ちょっとした怪我でも、針小棒大に騒ぎ立てたけれど、それは親の気を引きたかったわけではなく、当時の私の感覚では本当に痛かったのだ。

それをすべて「ワガママ」「根性なし」で片付けられてしまった幼少期。

今も鮮明に覚えているのは、幼稚園の夏休みの宿題の工作だ。世間体をあまりにも気にする母は、およそ幼稚園児が作ったではなさそうな、細かな切り絵を用意していた。
「これに、あとあんたがクレヨンで描き足して」
と、支持されるがままに茶色いクレヨンで線を引いたが、不器用が故にその線は母が作った見事な切り絵をほんの少し塗りつぶしてしまったのだ。

しまった!

そう思った次の瞬間に、強烈な平手が私の頬を直撃した。間髪入れずに往復ビンタが飛ぶ。痛みに号泣して、状況があまり飲み込めていない私に、母は立て続けに蹴りを入れた。小さな身体はころころ転がっていき、壁までぶつかってもなお蹴りは続く。

母は、自作の切り絵をめちゃめちゃに破りながら

「お前みたいな不器用は私の子じゃない」

「せっかくここまでやったのに、このクソガキが!」

罵詈雑言を浴びせられること、およそ2時間。

…早く優しい父に帰ってきてほしかったので、父の名前をひたすら泣き叫んだ。

それも面白くなかったのか、それからしばらくマンションの廊下に出されて、口の中にハンカチを丸めて詰められた。泣き声が近所に響かないようにするためである。

今、思い返しても、そんなに殴られ、蹴られるようなことだったろうか…。今の私なら、上から同じ紙でも貼って、適当に誤魔化すので、怒るようなことではない、と思っている。

他にもある。元々運動が苦手で、特にドッジボールが大嫌いだった。ボールを取ることができないので、いつもビクついて逃げていた。運動が得意な母がそれを知りイラッとしたのか、特訓を組まされた。鬼の形相でボールを投げてきて、その豪速球を受けきれずに左手に当たってしまった。明らかに左手小指の様子がおかしい。青紫色にどんどん腫れてきて、小指の関節は全く動かなかった。

「お母さん。痛いよ、指が動かないよ…」

そう訴えても

「冷やせば治る」

の一点張り。結局、半日以上経ってようやく異変と感じた母は病院に連れて行ってくれた。でも、そのときの医師への説明としては

「娘がボールを取りきれなくて、突き指したんです」

…は?左手を狙ってきたのはあんただろうが…。

でも、さすがはプロ。

「お母さん、この折れ方(結局骨折だった)はね、ただの突き指ではならないんだよ。娘さんが取れないような豪速球でも投げたんでしょう?」

さすがに、バツが悪かったのか、母は黙って頷いていた。

全治2ヶ月の大怪我。その年の夏休みの予定は全部キャンセルになった。

この怪我の痛みを知ってしまったせいか、大人になって、少しの痛みなら我慢するようになってしまった。そのため、好酸球性食道炎やら、急性膵炎とか、股関節炎とか、腰椎ヘルニアとか、メニエールとか、子宮内膜ポリープとか…全部悪くなってから発見されるようになってしまった。今でこそ「早く病院行ってらっしゃい」とか甘いこと言うけれど、安易に病院に行かないようになってしまったのは、お母さん、貴女のせいですよ。

今でも母は言う「あれは教育よ!躾よ!現に貴女たち曲がって育ってないじゃない!」

曲がらなかったのは、貴女の娘の良心のおかげですからね。

こう書いてみると、やはり私の母
は、躾としては行きすぎていたように思う。いや、あの攻撃は、虐待かもしれない。

でも、受ける側の子どもの立場になってみると、うちの親は違う、自分は愛されている、と信じたい。

実際、今の親子関係だけ知る人からは

「仲の良い親子ね」

と言われる。親は愛情は…あったのかもしれない。過剰なまでに。

ただ…

受けた心の傷はどうすればいいのだろう?

今更謝られても、私の中に残ったものは消えてなくならない。

最近、ちょぼちょぼ妹が、昔を思い出しては

「怒っているときのお母さんの顔は、鬼のようだったよ」

と言うようになった。そう、そうなのだ。あれは母の顔ではなく、鬼の顔だ。

厳しく育てられ、「弱さ=悪」と植えつけられてきたのだろう。女というだけで十分な教育も受けられず、劣等感もあっただろう。今ならそれも含めて理解はできるが、それと私が今もフラッシュバックする辛い出来事を同次元で考えないでほしい。

以前、大学の講義で児童心理を学んだが、その先生に匿名で投書をしたことがある。もちろん、私が受けてきた暴力についてだ。

匿名だったため、ケーススタディーとして、講義内で取り上げてくれた。

「このひとは、お母さんの心理も理解して、自分が受けてきたことを客観視できている。ならば、もうお母さんから解放されるべきだ。お母さんに支配される必要はない」

先生、ありがとう。でも、そうは言ってもね…親子が機械的にすぱっと関係が切れれば、子どもは苦労しないんですよ。切れないから、いつまでも心が凌駕されているんですよ。

私は怖い。たとえば子どもが与えられたとして、母のようになりはしないかと。

この心の澱がとけるまで、もしかしたら私は母になれないのかもしれない。


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