ねぎらいと感謝の違い。…紙一重?
私は何年か前、最終的には結婚しようと考えて同棲をしていた事がある。
ほぼ毎日、晩ご飯を作っていたけど…途中から彼が転職し、帰宅時間が固定じゃなくなったので一緒には食べない事が多くなっていった。
疲れて帰ってくるだろうと、ご飯を作ってすぐ食べられるようにしていた。
ただ、彼が帰ってきた時に、食事は済んでるものの私が起きてる事は多かった。
「おかえりー」
そんな声は一応かけてたけど、台所からご飯を盛って、自分の部屋で食べてるようだった。
次の日に起きて、台所に行って見ると汚れた食器が流しに放置されている。
そんな事がずーっと続いていった。
養われているわけではなくて、生活費は折半だったから…段々、不満というほどのものではないけど、ちょいちょい(私はお母さんじゃないのに…)と思ったりした。
「美味しかったよー」
みたいなねぎらいくらいあってもいいんじゃ…?とか思うようになっていた。(たまには。毎日とかではない。)
だって、自分が使った食器すら洗わない。
けど、ありがたく思え!とかそんなつもりは一切なく、疲れて帰ってきてるんだしそれは別に良かった。
ただ、私はお母さんにはなりたくなかったから、当たり前にはなって欲しくないだけだった。
結婚をしていて、お互いに役割があるのなら百歩譲って当たり前と思われてもいいのかもしれないけど。結婚しているわけでもないんだから。
それをある日、そんな雰囲気が悪くない時に「たまには、美味しかったよー!とか、ありがとね♪みたいなのとかあったら嬉しいなあ♪」と話してみたら(確かこんな言い方だったはず)
突然すごく怖い顔になり
「何か感謝をして欲しくてやっているなら、二度と作らなくていい!」
と言われた。
今でこそ、「ねぎらいと感謝」とか書いてるが、その時は
え、感謝…?私は感謝して欲しがってるのか…?
美味しかったよーとかって、感謝なんだろうか…いやでも、感謝する時に良い言葉とか言うし感謝なのかな…いやもう自分でもよくわからん。
頭が真っ白になって、なんて言って良いのかわからない。
というか、私の知っている日本語の中から、正しく言いたい事のニュアンスを伝える表現が見つからなかった。
私からすれば、そんな大きな意図とかなかったし…「二度と作らなくていい」なんて言われるとは、想像すらしていなかった。
そこから私もあまり食事を作らなかった。
色々わからなくなったし、私が料理をしてる事に感謝しろ!ってうつってるなら、それはすごく悲しい事だからだ。
ちなみに、辞書的な意味でもねぎらいとは感謝の事を指すようなので相手の言い分はその通りだったかもしれない。
そうなると、あの時の私の感情の正体は何だったんだ。
やってあげてる、なんて別に思っちゃいなかった。
ありがたいと思え!とも違った。
それでも、求めていたのは結局感謝だったんだろうか。
大して会話もなく、使える物は使う…それが当たり前みたいになっている事が、仕方ないのかもしれないけど、虚しく寂しく、悲しかった。
のかもしれない。
人と一緒に暮らす事の難しさよ。。。
お腹いっぱいシャウエッセンが食べたいです。