
90 喫茶店
どうも、首の汗のバルブ壊れた?ってくらいに毎日首に汗をかいているあたしです。
今noteをPCから見ているんですが、スマホで見るのと全然違って面白いですね。突然世界が開けた感じすらあります。これはきちんと活用できたら書き手にも読み手にもとても良いツールな気がする。(今更
楽しくなっていろんなジャンルの人をフォローしたり、自分の設定を少し変えたりしました。ああ、たのし。
さて。
先日久々に友人と会ってきました。
数年前までは毎週のように会っていた友人。歳が親子ほども離れているけど。ここ数年はお互い自分以外の誰かのために時間を使う日々だったので、また流行り病のこともあって会う頻度は減ってきた。
今の人間関係の中で、私のイタい姿に気付かせてくれるのは、だいたいこの友人か夫。
他の友人がどうとかではなく、この二人の器量、度量が壮大すぎる。
今回も私の器の小ささを感じながらおしゃべりをしてきました。
私にはまだまだつまらないこだわりがありすぎる。
食べ物に関して比較的好みの傾向が近い私たちは、大体好きな店が被っている。パフェを食べ歩いたり、珈琲が美味しい渋い喫茶店に行ったり (彼女は珈琲が飲めないのでカフェオレとフードメニュー) 、真面目にやっている美味しいお店には目がない。
話が弾んで、歩きながらおしゃべりをしようと、向かった先は蔵前。
ずっと前から行ってみたかったお店がこの界隈には2軒ある。
それが蕪木と半月(菓子屋シノノメ)だ。
強烈な憧れといってもいいと思う。
憧れがすごくておいそれとは店の敷居を跨げない自分がいるほど。
今回はつい先日シノノメさんのパン屋に行って感動したばっかりの彼女にアテンドしてもらって半月に行ってきた。
美味しいお店というのは昔に比べて大変に増えたと思う。
情報もそうだし、受け手であるお客様の要求も高くなった。
今のところ、私の中でその最上級にいる喫茶店だった。
誰でも家に居ながらにして美味しい珈琲が淹れられるようになり、コンビニで気軽に淹れたての珈琲を安価で求めることができるようなこのご時世において、喫茶店にわざわざ行くことというのは、色んな要素が加えられていると思う。というか、空間そのものが価値なのだ。

まるで自律神経が整うような “きちんとした” しかし堅苦しくない、そういう空間。
もちろん出てくる珈琲がちゃんと美味しい。おしゃれ風ではなく、実直に旨い。
そして珈琲のお供が最高に美味しい。派手さはないけど、きちんと作られている誠実なお菓子。そして珈琲との相性も最高。
若い頃、実家近くの隠れ家的なカフェ・バーに心酔して通っていた頃のあの感動に近かった。
出来ることなら私の生活もその実直できちんとしたものでありたい。
そういうかっこいい店を訪れたあとの私は、部屋をぐるりと見回し、厳しい目で自分の生活をと片付けの不出来を摘発するのであった。