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84 井の中の蛙大海を知らず
その日は久しぶりに朝のラジオをつけた。
日曜の早朝で、私の憧れの鎌倉のカフェのオーナーがワンコーナー持っている番組。湘南方面のFM局の放送。
ちょうど前日から暑さが厳しくなっていて、
茅ヶ崎だの、辻堂だの、材木座だのの地名が耳に心地いい。今にも湘南の海の強くも心地よい風が部屋の中に吹き込んで来るようで。
おまけに早朝、朝一番で家のことや珈琲を淹れながら一人静かに聴くそれは、とても気持ちが伸びやかになる時間だった。
一言で言えば大変に幸先の良いスタートだった。
鎌倉は私にとって大好きな土地。何か大きなことがあると決まって私は海を眺めに行く。人混みやパーティーピーポーが好きではないので、大体夏はお盆過ぎまで行くことはないけど。
生きていることがつらかった頃、海を眺めては心の余白を広げてもらった、そんな場所。
同時に意味もなく生きていて良かったと涙したのもこの地。
とにかく私は海が好きで、東京多摩地方に住む人にとって子供の頃からの馴染みの海は鎌倉なのだった。
海を愛する人ってなんとなくおおらかな気がする。
人間がごみごみと暮らしている都心で生活していると段々視野が狭くなる。
人間しかこの世には居ないみたいな感覚に、知らず知らずのうちに陥ってしまうこともある。
まるで蛙のようになった私を、海や海を愛する人がニコニコして手招きしている。
まあ、なんとかなるわな。
何かにならないかもしれないけど、どうにかなるわな。
波の音がBGMで薄く入る放送を聴いているとそんな気持ちになる。
放送中、湘南スタイルとして
スタイリストからフラワーアレンジメントに転職した人の話が紹介された。
そうだった、そうだった。
世の中には畑違いの転職をする人なんてザラなんだ。興味なんて移りゆくもので、その時のベストを生きているんだ。
だから今も大きく興味がズレてしまうのならばまた変化していけばいいし、今のベストを常に感知していけばいいんだ。
決められた、もしくは周囲の人と全く同じパッケージで生きることを辞めてもいいことに気付いた若い頃の気持ちを少し取り戻せた気持ち。
今の自分でない全てのものに軸足取られた決定は、即ち唯の執着なんだ。
そしてそれは私が1番重荷になることなんだった。
海はその地に行かなくても私を導いてくれる。
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