くうちゃんは、パンダをも凌駕する
「くうちゃんがね、亡くなってしまいました」
10月12日、まだ日付が変わって間もない時間に実家から電話があった。
いつもの優しい父の声で、あまりにも残酷な報告を受ける。実家で飼っていた犬が、突然息を引き取った。
死ぬまできっと忘れないのは、2012年5月5日の夕方のこと。私はなかなか友達のできない子供で、毎晩家の物置部屋でぽつぽつ泣いていた。その日もこっそり部屋に向かっていると、後ろからカチャカチャと足音がした。振り向けばマヌケな顔で私を見上げる子犬がいる。あまりにも可愛くておかしくて、その日はぽつぽつせずに一日を終えられた。元気なオーストラリアンシェパードの女の子が、我が家に来た日だった。名前は「くう」と家族みんなで名付けた。
上靴が無くなった日、クラスの子達が鬼ごっこをしているのを保健室から眺めた日、好きな子とグループを組んでねと先生がニコニコしていた日。私はどんな日も一人で泣こうとしたけれど、いつの間にかそばにはくうがいた。私の頬を、舐めてくれた。こっちは泣くことで忙しいのに、おもちゃを咥えて遊びに誘ってくれた。だから私は、結局毎日幸せだったのだ。絶対に笑える瞬間を、あの子はいつだってくれていた。
「兄弟イチのおてんば娘なんですよ」
「かなり手がかかると思います」
父が「この子がいいね」とくうを抱き上げた時、ブリーダーさんにそう忠告された。何度もゲージから脱走をし、ブリーダーさんを困らせていたらしい。
くうは確かによくいたずらをした。おやつを盗み食いしたり、ゴミ箱をひっくり返したり、毛布を引きずり回したり。どれもわざと見つかるように、私たちの目の前で犯行に及ぶのだ。本当に手のかかる子だった。でも、もしかしたらくうだって、「いつも泣いていて手のかかる子だ」と私の近くにいてくれていたのかもしれない。
くうが亡くなった翌日13日は、母の誕生日だった。姉が大学生になって実家を出てからの7年間、10月13日に家族全員が集まったことなんて一度もなかった。兄弟3人、みんな地元を離れてしまっていた。でも今年は、13日に家族が揃った。誕生日らしいことは何もできなかったけれど、母の誕生日を家族で迎えられたのは久しぶりで。くうの、くうからの最後の優しさかもしれない。そう思いながら、ただ冷え切ったくうを撫でていた。
火葬当日。くうが火葬炉に入って扉が閉まるまで、全員で見届けたあの時。家族のあんなに泣く姿を、私は初めて見た。父が涙脆いことは知っていたけれど、肩を震わせてまで泣くことは知らなかった。姉、弟の泣き顔は、小さい頃に喧嘩した時以来だった。母に至っては、初めて泣いた姿を見た。
その日の夜、母が呟く。
「皆の泣き顔、今日久々にまともに見たかも」
「確かに家族の前ではお互い泣かないよね」なんて笑うそれぞれの顔を見て、全員本当は泣き虫だったのだと、その時にやっと知ることになった。
くうはこれまで、何度私たちの涙を拭ってくれただろう。どれほど心を繋ぎ止めてくれたのだろう。
癒しとか安らぎとかそのレベルではなく、私たち家族はきっとこの子に何度も救われ、生かされてきたのだと思う。人生を放り投げずに今日まで来られたのは、くうの存在があってこそ。決して過言ではない。くうと出会えていなければ、こんなに温かくて優しい人たちに囲まれながら生きる未来には、きっと辿り着けなかった。
くうが亡くなってから今日まで、涙を流さずに過ごせた日はまだ一日もない。ふとあのマヌケ顔を思い出して、どうしようもなく会いたくなってしまう。でもいつかまた、彼女のおかげで笑える日が来るんだとも思える。11年前の、あの頃のように。
くうとの思い出はこれからも、私たちをそっと温めてくれるはず。
元気いっぱいで明るくて優しくて、ひたすらに愛おしかった。
くうちゃん、11年間本当にありがとう。
次も私たちのもとに来るんだよ。
絶対、また家族になろうね。