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【小説】夏草の露 04/25

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#4 暗闇の中で

 話をしたのが良かったのか、少年は少し落ち着いてきたようだ。
「ここからそんなに遠くはない場所に隠れている……はずなんです」
「きっと無事だよ。早く合流しちゃおう」
 少年の表情はまだ少しこわばっている。
 フェンスに絡まる植物の隙間から時々確認を続け、光が視界から完全に消えるまで僕らは待った。
「そろそろ行こうか」
 音をなるべく立てないよう慎重にフェンスを越え、時々は地面にしゃがみつつも、緑色の大きな壁とやらまで速やかに移動する。
 幸い、誰に会うこともなく。
 少年が歩きながら緑の壁を何度か押すと、金網特有のギシギシとした音が途切れる場所があった。
 彼はためらいもなくその中へ身をよじって入って行く。
 僕も急いで後へと続いた。

 内側から見ると、線路を支える高架の側面に金網が張られ、いくつものプランターが設置されているのが分かる。
 開園当時からの仕様だろうか。
 緑の壁のベースとなっている金網も全面に張られているわけではなく、所々途切れている場所があり、そこから出入りできるようだ。
 天井は高く線路部分もダイレクトに抜けてはいるのだが、蔦のようなものが絡まっていて見える夜空は細切れだ。
 だからかな。閉塞感はかなり強い。
「こっちです」
 内側の通路は狭く、二人並んでは歩けないのでしばらくは少年の後ろについて行く。
 いくつめかの金網の切れ目部分で立ち止まった彼は、垂れ下がる植物をそっとかき分けて外の様子を確認している。
 入った側とは反対側。
 猿の電車はホラーランドの外周近くを回っているから、ここから先がアトラクションの並ぶエリアか。
 トリーはこの中のどこかに隠れて居るのか、それとも敷地の外に逃げ出せているのか、とにかく無事でいてほしい。
「今なら行けそうです。足音を立てないように走ります」
 少年に続いて植物の隙間から外に出た。
 目の前にはレンガ造りの大きな建物。
 三階建てで、中世ヨーロッパっぽい重厚感あふれる外装。
 それが閉園からの長い期間、手入れのないまま風雪に晒されて「なんか出そう」な雰囲気に満ち満ちている。
 建物の手前の道は、建物と猿の電車ともども背の高い建造物に挟まれて、他の場所からの見通しが悪くなっているようだ。
 道自体はアスファルトのように見えるが、あちこちひび割れたところから草が噴き出すように生えてきている。
 少年は目の前の建物へとまっすぐに走る。
 迷いもなく壁の一部に手をかけて開く。
 隠しドア?
 ドアにレンガを貼り付けてあって、壁の一部のように造られている。
 急いで追いかけ、ドアまで近づく。
 二人で入る前に周囲をもう一度警戒し、それからドアの中へと滑り込み、急いで閉めた。
 キィィィ。
 うわ、焦った。
 開ける時には静かだったのに閉める時にはけっこう大きな音が鳴るんだなこのドア。
 ヤツラに聞かれてないよな。
 真っ暗闇の中でドキドキしながら耳を澄ます。
 耳の中に残る音の余韻が心臓の音よりも小さくなった頃、少年が声を出した。
「もう灯りをつけても平気だと思います」
 それならばとマグライトを点ける。
 灯りの輪の中に、薄汚れた狭い通路が浮かび上がる。
 月の光が仄かに輪郭を伝えてくれた外とは異なり、ここは灯りがなければ完全な闇だ。
 ライトを向けた方向、近くにあるものだけが闇の中にぼうっと見えているだけ。
 遠くは見えないし、向こうが闇の中に隠れているのならこちらの存在が丸わかりだ。
 見通せない暗闇が不安を誘う。
「ごめんなさい。父ちゃんのスマホ、もうバッテリーがヤバくてライトつけられなくて」
「お父さんの?」
「オレ、カメラとか携帯とか持ってないから写真撮りたいって言ったら貸してくれて……まだ、父ちゃんが変になっちゃう前だけど」
 そうか。携帯電話のカメラにライトか。
 そういう使い方もあったんだな。
 門や車を停めた場所で既に電波が入らないのは確認済みだったし、そもそも手紙に気付いてからはトリーってばどの連絡手段にも反応ないままだったし、自分のスマホはリュックの中にずっとしまいっぱなしだった。
 バブル全盛期に閉園してしまったこんな山奥の廃墟では、園内にアンテナが残っている可能性にも期待してなかったし。
 ともあれ電波が入らないとはいえ、彼のスマホが電池切れってのは困るだろうな。
 リュックからバッテリーチャージャーを取り出すと、少年のスマホに挿してみた。
 彼の父のスマホは画面がにわかに明るくなり「4%」と表示された。
「ありがとうございます。電波来てないかあちこちで試したりしたし、かなり減っちゃってて」
 光源が二つになったところで、この暗闇に対して圧倒的に足りないというのは変わらないのだけれど。
「いいよ。ライトはこっちだけで。君のスマホは温存しておきなよ」
「ありがとうございます」
 問題を一つ解決して歩き出した矢先、足元から乾いた「ザリ」って音が聞こえて反射的に後退あとずさった。
 何を踏んだ?
 変なモノでありませんように、と祈りながらライトを当てる。
 一見して普通の床――ん?
 気になったものを靴の先で蹴ってみる。
 ザリ。
 これか。
 かつては床にはめられていたと思われるソフトタイルが剥がれていて、それを蹴とばしてしまっただけのようだ。
「廃墟って割にはあんまり汚くなかったから、足元への注意が少し足りなかったかも」
 実際ここが閉園後三十年くらい経っていると言われてもあまりピンと来ない。
 ゴミが散らばるでもなく、埃が山ほど積もるでもなく、壁だって屋内はそれほど塗装が剥げたりもしていない。
「トワさん……ゴスロリのおねえさんが言ってました。訪れる人が少ないからほとんど荒らされてないんじゃないかって」
 確かに廃墟ではあるけれど、三十年という月日までは感じない。
 その後、通路は特に分岐も扉もなく、僕らの足音と小声での会話だけが密やかに響き続ける。
 やがてライトが右に折れるL字路と一枚の扉とを照らし出す。
「あの扉の向こうの部屋に隠れているはずです」
 ここまで一本道で初めての扉、初めての曲がり角。
 少し手前で立ち止まり、耳を澄ましてみる。
 自分の鼓動より大きな音は聞こえない。
 行くしかないよな。
 マグライトを逆手で持って左手の肘を折りたたみ、顔近くで構える。
 海外映画でよく見る軍人や警官のように。ライトを握った拳を前に倒すだけで肩に乗っている柄の部分を棍棒のように振り下ろせる持ち方。
 何かに襲われたとしてもとっさに反撃できるように――ケンカとか格闘技とかの経験はないんだけどね。
 ただ立場的には小学生は僕が守らなきゃいけないだろう。
 手が震える。
 本当に何かに襲われた時、僕はちゃんと自分や周囲の人を守ることができるのだろうか。
「おにいさん、どうしたの?」
「あ、いや、音がしないなって」
 子供に心配させちゃうのもなるべく避けなきゃだよね。
 深呼吸する。
 曲がり角の向こうからは相変わらず何の気配も感じない。
 でも――意を決し、曲がり角の向こう側へライトを向けつつ一歩を踏み出した。

 結果から言えば何も変わらなかった。
 ここまで歩いてきたときと。
 少し早く大きくなった鼓動以外には物音は聞こえず、曲がり角の先の通路も今来た通路同様に単調に伸びているだけ。
 強いて言うならば自分の口から洩れる呼吸音もやけに大きく聞こえる。
 ただ音以外に、さっきまでとは何かが違う――臭い?
 少年が既にドアノブへ手をかけていたのを「僕がやる」とゼスチャーし、代わりにドアノブをつかむ。
 万が一のため、いったんライトを消す。
 そしてドアノブを回し、ドアをほんのわずかだけ開いたとき、臭いが濃くなった事に気付いた。
 何かが焦げたような臭い。
 本当にこんな場所に隠れているのだろうか?
 ドアを開けたときの反響音で、通路よりはずいぶんと広そうだと感じる。
 中は静まり返っている。
 ライトを点け、あまり時間をかけずに部屋全体をざっと照らしてみる。
 あちこちに燃えた跡が見てとれる。
 部屋は長方形で、奥行きは電車の車両一両分くらいかな。
 幅は奥行きの半分くらいだろうか、けっこうな広さがある。
 天井が高く、頭上を何本かの丈夫そうなロープのようなものが通っているのがすぐに目についた。
 ロープは僕らが入ってきた側の壁とその真向かい、向こう側の奥の壁とにそれぞれ一体化した太い支柱同士の間にピンと張られ、どことなくスキー場のリフト支柱を連想させる。
 部屋は何かのセットだったようにも見えるが、ほとんどが焼け崩れて何のアトラクションなのかまではよくわからない。
「あれ……居ない」
 少年が呆然と立ち尽くしている。
 彼の目の前には、この部屋のセットの一部なのか、内側は焼け焦げずに済んだと思われるハリボテのようなものがあった。
「この中に居たはずなのに……」
 今、何か聞こえた、少年の声以外に。
「ちょっと待って」
 今度は僕が少年の口に人差し指をあてた。
 少し離れたところ――リフトの続く向こう側の壁のほうから何かが聞こえる。
 人の声みたいな、それも、すすり泣きのような。
 「行きたくないなぁ」という言葉が喉まで出かかった。
 不穏な噂の多い遊園地の廃墟。隠れているはずの人が居ない。焼け焦げたアトラクション跡。そしてすすり泣き。
 どれだけ嫌なフラグを立てる気なんだって。
「あ、ちょ、ちょっと」
 しかし少年は歩き始めてしまう。
 その音の方へ。
 まさか魅入られるとか憑かれるとかそっち系?
 行きたくはないけどさ、これって追いかけるしかないじゃないか。

 声が聞こえた方向、入ってきたとこと逆側の隅まで来ると、ここいらの壁は焼けてなくて絵がまだ残っていた。
 中世のヨーロッパっぽい民衆の姿が描かれていて、そのどの顔にも悲しみや苦悶が浮かんでいる。
 民衆の手前には剣を持った甲冑の騎士が等間隔に描かれている。
 何かの物語の場面なのか?
「あった」
 少年の声の方へ向くと、絵を描かれている壁の一部からドアノブが飛び出していて、彼はもうそれを開けてしまっていた。
 迷いもなく先へ進む少年を、僕も慌てて追いかける。

 扉の向こうは真っ暗な空間。
 少年の後ろ姿を探して、ライトを向ける。
「……!」
 たくさん人が居る!
 まさか誘い込まれた?
 少年はすでにヤツラの仲間だった?
 闇からそいつらを浮かび上がらせた光が揺れていて、僕は自分の手が震えていることを知る。
 こ、こういう時こそ落ち着かないと――もう片方の手でマグライトを持っている手をぎゅっと押さえつける。
 そこでようやく、ある違和感に気付いた。

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