【小説】夏草の露 15/25
#15 鉢合わせ
とうとう投げつけてきたのかと思ったら、鹿の頭を振り回そうとしたところを羽交い絞めにされてすっぽ抜けた感じ。
もちろん羽交い絞めしているのは――。
「母ちゃん! オレだよ、瑛祐だよ!」
中の人はやっぱり瑛祐君だったか。
その彼が、女の肩をつかんで一生懸命語りかけている。
僕は自分の中の疑念を一つ晴らすために、そんな彼らに語りかけてみた。
「瑛祐君……僕のことを覚えてる?」
月に照らされている僕の顔を見つめた彼は怪訝そうな表情でこう答えた。
「……ツアーの人?」
予測していた以上にショックを受けている自分を見つける。
いやいや、冷静になれ。
冷静に。
真実を浮き彫りにするために、仮説の一つに白黒つけただけだ。
そう。そういうことなら優先順位は――深呼吸をしてから走り出す。
トワさんが走り去った方向へと。
中の瑛祐君の反応は僕のこれからの行動にとって大きな指針となる。
逆に今まで「正」だと思っていた情報も、その全てとは言わないが一部については「偽」だと仮定する必要も出てきた。
そんな中で確実にわかっていることは一つ。
とにかく何よりもあの手鏡がとてつもなく重要なキーなんだってこと。
僕はまずあの手鏡を取り返す。
その上で、自分の身を守りつつトリーを見つけ出す。
「ヤツラ」が誰かなんていうのはこの際後回しでいい。
「僕を知らない瑛祐君」に事情を説明するのは時間がかかる。
武器にも交渉の道具にもなるであろう手鏡があれば、自ずと拓ける道もあるはず。
そして迷ったらトリーだけでいい。
あとは知らない。トリーさえ助け出せればもう脱出してもいい。
だって僕は、トリーのことなら本物かどうか見分けられるのだから。
目的はシンプルな方がいい。
何もかも拾おうとせず、一番大事なものだけを最優先に。
ゾンビハウスの大きな窓に、並走する自分が映る。
風が強いから、草むらにトワさんの通った跡は残ってはいない。
彼女はどこへ行った?
その行方を考える。
ゾンビハウスの中へ入ったか、もしくはアクアツアーまで戻ったか――待てよ?
彼女が「塞がっていた」と証言したホラーメイズこそ怪しくないか?
シュバルツシルトはミラーハウスのすぐ近くへとつながっているわけだし。
……ギィィィィィィ……ギィィィィィィ……。
ゾンビハウスの正面まで戻ってくると、回転扉が回っていた。それもなかなかのスピードで。
電気は来てないはずだよね。
風で?
この風の強さは台風が近づいてきているからなのかな。
そういえば前に動画サイトで台風で回り続けている回転扉を観たことがあったな。
回転扉のすぐ手前に、さっき見た動物――恐らく鹿と思われる胴体――首なし死体が転がっている。
死体があまりにも回転扉に近いから、回転扉であの鹿の頭をねじ切ったのかとさえ感じるほど。
まさか、鹿の死体が挟まっていたのはストッパー代わり?
ここを抜けるには何か挟まないとダメか?
でも、首なし鹿を動かして回転扉へ挟み込むほどの根性は僕にはなくて。
風で回っているのなら、一瞬だけでも回転を弱められれば、勢いがつくまでに猶予があるか?
となると何を挟めば――鹿の死体に目が行く。
この距離の近さなら、足を一本持ち上げて回転扉へ――うわっ、ダメだ。
死体とはいえ、それで鹿の足が折れる様を見たくはない、というより見られないというのが正しいか。
トワさんがここを抜けたとしたら、鹿の死体を外したばかりとかのまだ回り始めだったのかな。
迷っている暇なんてないのに、腰が引けてる自分が情けない。
さっき出せた勇気は何だったのか。
トワさんは灯りを持っているし運動神経もかなりよさげだし、時間が経てば経つほど追跡が困難になる。
やっぱり鹿の足か――などと結局迷っているじゃないかと自分ツッコミをしたちょうどそのとき、声が聞こえた。
ゾンビハウスの中から。
トワさんの声にとてもよく似ていた。
逃げている人が声を出すってのは、どういうときだ?
何らかのアクシデントでうっかり出てしまった感じ?
さもなくば、後ろから来る味方に居場所を知らせるためか?
第三の敵か、罠か、それとも信じるべきなのか――そうじゃない。
トワさんが敵にせよ味方にせよ、彼女がもし何者かに攻撃されたのであれば、彼女の持っている手鏡がその何者かの手へと渡る恐れがある。
急いだ方がいいのは間違いない。
……ギィィィィィィ……ギィィィィィィ……。
回転する扉が開いては閉じ、閉じては開きを繰り返す。
もうこれしかない――腕までは巻き込まれないよう細心の注意を払いながら、回転扉が閉じる直前の隙間へマグライトをねじ込んだ。
ものすごい衝撃が手に加わり、マグライトが宙を舞う。
手首に巻き付けておいたストラップを外しておかなければどうなっていたことか。
回転扉は止まっ――たようだが、もう既にゆるやかに廻りはじめようとしている。
本当に廃墟なのかよ。
何にせよ、急がないと。
辺りを探すとくの字に曲がったマグライトが見つかる。
それを素早く拾い上げて再び握りしめ、回転扉の内側へと踏み込んだ。
……ギィィィィィィ……。
「うわっ」
地面にぬるっとした感触を覚え、危うく転びそうになる。
鹿の血溜まりか。
足元と回転扉の速度とに注意を払いながら、扉の流れに乗り、僕はとうとうゾンビハウスの中へと入り込んだ。
中に入るとガラス窓が長いこと掃除されていないのがわかる。
ただそれでも外の月明かりがかなり入り込んでいて、店内の様子はそこそこ把握できる。
入って正面はバーのようなカウンター席。
その奥が厨房だろうか。
窓際は全てボックス席で、席数は思ったよりも少ない。
来場者数自体をコントロールしていたからだろうか、店内は広々としていて、椅子やテーブルは全て固定されたものばかり。
だからか。回転扉のすぐ脇に転がっている配膳用ワゴンのひしゃげたやつは。
かつて扉を止めるために使ったのであろう。
あの鹿頭女が追ってくる可能性を考えたら回転扉は回ったままにしておこう。
その横に、これまたひしゃげたフライパンまである。
この血塗れ具合、ひしゃげ具合。そのひしゃげた部分についた肉片。そして血溜まり。このフライパンがどのように悍ましい使われ方をしてこうなったのか、なんとなく察してしまう。
いやいやいや。気持ちを切り替えよう。
店内の作りは外見同様80年代なアメリカン。
カウンター近くにはジュークボックスやらピンボールマシンやらがあり、その奥にはトイレっぽい扉。
そして何より目立つのが暗闇に立つ人影。
魔女のホウキで人形を見た経験のおかげか、冷静になるまでは早かった。
全部で四体並んでいるそれは、洋物ホラー映画のキャラクターみたいな等身大フィギュア。
チェーンソーを持ったホッケーマスクの大男や、長い爪をつけた帽子の男、首から上だけ真後ろ向いているネグリジェの少女、それにカウンターテーブルの上に無造作に置かれているのはナイフを持った人形、チョッキーだかなんだかいう名前の――いや、違う。
よく見るとどれも微妙にニセモノというか、ゾンビ化されたデザイン。
そりゃそうか。ゾンビハウスって名前だっけ、ここ。
触れた感じの質感からすると蝋人形っぽい。
すでにホラーアイコン化しているキャラクターをあえてゾンビ化するってどうよ、とは思いつつ、ようやく目が慣れてきたのでさらに詳しく店内を観察する。
声はそこまで遠くなかった気がしたんだよな。
床に血の足跡を見つける。
複数あるし、行き来もしているし、幾つかはカウンターの中へも入っている――裏口は厨房の方だよな。
トイレ方向には行ってない。
ふと、カウンターの端に別の立体物を見つける。
葬式の道案内とかに描かれる指さしマークのリアル3D版のやつ。しかもその指先にロウソクが立っている。
これ、灯りになるかな。
手首から先だけの悪趣味な燭台をカウンターから外そうとしたが外れない。
ロウソクだけ持つのは熱くてちょっとな。それにチャッカマンはリュックの中だし――などと時間を無駄にしている暇はない。
靴跡は奥へも続いている。
悪趣味燭台の下には「Zombie Road」と書かれている。
袋小路の厨房よりも、『古の土地エリア』全体につながっているこっちの方を先に確認すべきな気がする。
ここからは慎重に行かなきゃだ。
トワさんが声を出した原因の何かが潜んでいる可能性があるから。
もしもトワさんが何者かに襲われたのであれば、そいつは僕にだって襲って来るかもしれないからだ。
ゾンビロード方向は今は静まり返っている。
足音が聞こえないということは、走っているわけじゃないということ。
ならば全力ダッシュよりは手探りで静かに進む方が良さげ。
しかしリュックを奪われたのは色々と痛い。
マグライトが壊れていても、ほぼフル充電状態のスマホが入ってから。
灯りは自分の居場所を知らせてしまう恐れはあるが、窓からの灯りがほとんど届かないこの通路の不安感ったらない。
ミシ……。
それに加えてこの音。
裏口で聞こえてた音か。
だからといって進まないって選択肢は今の僕にはない。
ミシ……。
胃を削りそうな音。
……ミシ。
どう体重をかけても鳴るか。
ミシ……。
勘弁してほしい。
……。
お、ミシミシ床ゾーン抜けたか?
しかもそこ曲がり角だよ。
思わずため息が出そうになる。
廃墟で、暗闇で、誰かが居そうで、それはしかも襲って来るかもしれなくて、そんなタイミングで曲がり角。
だけどここで逃げる選択肢は選びたくない。
ひしゃげたマグライトを握りしめて――深呼吸して――曲がり角を――曲がった。
拍子抜けするくらい何もない。
いや、あえて言うならなだからなスロープがある。
そしてそのスロープの先がまた曲がり角になっていて、ほのかに明るい。
もしかしてあそこから先がゾンビロード?
選択肢としてはスロープを降りて行くしかないよな。
思わず出そうになった溜め息を呑み込む。
細心の注意を忘れてはいけない。
何かが出ても嫌だし、こうやって何も出てこないのもそれはそれで神経をすり減らす。
もしかしてトワさんの声が聞こえたのは幻聴だったのかもとか思いたくなる。
でも僕はトリーを助け出すためにここに来たのだから。
退くという選択肢はない。
恐る恐るスロープを下る。
明るい曲がり角の手前までは無事にたどり着く。
静まりかえった通路。
曲がり角の先を慎重に窺うと――なんか見える。
人影というか、ゾンビというか、ゾンビメイクのマイケル・ジャクソンというか。
いくら蝋人形だとわかっていても、これは怖い。
これが突然動いたら心臓が止まるかもしれない――なんて怖気づいている場合じゃない。
マイケルの向こうにもたくさんの有名人ゾンビが並んでいるのだから。
ゆるやかに傾斜する細長い通路の左側に蝋人形、右側にポツン、ポツンと鉄格子付きの窓。
窓から外をそっと覗いてみると、改めてこの『新大陸エリア』の高さを再確認させられる。
このゾンビロードが壁伝いZ字状に『古の土地エリア』まで続いているとわかるのは、この通路の屋根と思しきものがジグザグと見えているから。
それだけじゃない。
ここからは、入り口正門から入ってすぐのあたりが全部見渡せる。
正面ゲート入ってすぐ、まずは広場があってからの血まみれブランコ、地上高くまで上がったブランコがぐるぐる回されると遠心力で地面への角度がどんどんエグくなってゆくやつ。
その隣のアトラクションも血まみれネーミングつながりの血まみれティーカップ――だったはず。
そしてあっちの奥にある洋館は魔女のホウキか。
ここ、見張るのにとても良い場所じゃないか。
この窓のすぐ後ろで圧迫感のあるアメリカの有名人ゾンビ達な蝋人形さえなければ。
マイケル・ジャクソンのすぐ隣は、スカートがまくれあがってパンツまで見えてるマリリン・モンローのゾンビ。
どういうニーズだよ――なんだ?
少し離れた場所で、声みたいなのが聞こえた。
それもトワさんの声に似ている。
しかも、通り過ぎた場所――ゾンビハウスの方から。
明るさの中で確認した通路には血の足跡もついていない。
ということは、あの厨房付近に隠れている?
ひん曲がったマグライトを構え直し、再びゾンビハウスへと戻るべく踵を返した――その矢先。
ゾンビハウス側の曲がり角で、誰かと鉢合わせした。
「うわわ……誰ですかっ?」
日本語が返ってくることを期待しつつも、マグライトはいつでも振り回せるようにしておく。
「そっちこそ……ヤツラとは違うようだが……参加者じゃないな?」
若い男の声だった。
顔は見えないが、警戒するように軽いフットワークで体を動かしている。
細マッチョな気配。
「参加者ってツアーのですか?」
「他に誰が居るんだ? 怪しいな。里帰り組か?」
「里帰り組?」
そうか。
僕は「ヤツラが仲間を増やす」ということを今回のことだけで考えてしまっていたが、過去に増やした仲間が他に居る可能性、そいつらが戻ってきて向こう側に加勢する可能性ってのも考えなきゃいけなかったのか。
「とぼけているのか? とりあえず名前と干支を言ってみろ。3……2……」
カウントダウンとか、どんだけ高圧的なんだ。
「あ、赤間風悟だ。干支は」
「てめぇか!」
回答し終えるよりも早く、細マッチョは突進してきて僕の胸ぐらをつかんだ。
今なら窓の外からの光で彼の顔が見える。
怒りに歪んだその表情が――なんでこの人はこんなにも怒っているのだろうか。
ヤツラの側ではないような口ぶりではあるけれど。
「な、なんですか、急に」
「とぼけんのかよ!」
いや、まったくもってわけがわからないんだけど。
「こっちは名乗ったんだ。そっちも名乗るのがスジだろう?」
情けないことに自分の声が震えているのが分かる。
細マッチョはそんな僕を睨み付けながらこう言った。
「俺の名前はエナガカツマ」
エナガ!
それってトリーと一緒に逃げたっていうイケメンっていう?
「ああ、君がエナガさんか。じゃあ、トリー……相模トリーネも近ぐっ」
しゃべっている途中でつかまれている胸ぐらをされに締め上げられる。
この人はなんでこんなに怒っているんだ?
「てめぇがその名前を出すんじゃねぇぇぇ!」
なんなんだよ。
このエナガという暴力男は。
まさかトリーの――俺にナイショでDV彼氏がいたのか?