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【小説】夏草の露 22/25

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#22 城

 目眩めまいがまた僕の足もとからすり寄ってくる。
 ぞくり、と背中が勝手に震える。
 そうだよね、鏡なんてたくさんあるオカルト噂のうちのほんの一つだったじゃないか。
 終わってなんかいなかったんだ。

 振り返った僕の目の前でナイトメア・ザ・メリーゴーラウンドが回っていた。
 今度ばかりは風のせいじゃないって即座にわかった。
 灯りが点っていたから。
「風悟さん、聞こえる?」
 聞きたくないのに、聞こえる。
 子どもが笑っているような声が。
 子ども――瑛祐君たちを探す。
 居た。
 家族四人で一緒に居る。
 でも彼らは一人も笑っていない。
 特に瑛祐君が母親に怯えていて。
 そんなの確かめるまでもなかったんだ。
 だって笑い声は幾つも、あちこちから聞こえているから。
「あたし、思ってたんだ。ホラーランドの『子どもがいなくなる』って噂について。完全予約制のバスで、行きに乗ってなかった子どもが帰りに乗ってなかったら大問題だよね。そうじゃなくて、ここで見たんじゃないかなって思ってたんだ。子どもが居なくなったんじゃなく、もともと居ないはずだった子どもを見かける人がたくさんいたんじゃないかなって。それなら、帰りのバスには乗ってないよねって」
 トワさん、その仮説は案外正しいかもしれない。
 僕にも見える。
 小さな子どもの足があちこちを走り回っているのが。
 しかも、どの足も膝から下だけしかないし、裸足だし。
「間に合わないかもしれない。バスへ急げ!」
 丸守さんが大きな声を出す。
 間に合わないって何が?
 ここにはまだ何かあるのか?
 なんて迷っている場合じゃなさそうだ。
 とにかく今は走るだけ。

 血まみれティーカップの横を抜け、血まみれブランコの横をも走り抜ける。
 どちらも、メリーゴーラウンドみたいに灯りこそ点っていないものの、なぜかぐるぐると回っている。
 ここ、廃墟なんだよね?
 電気なんか来ていないんだよね?

 正面ゲートをくぐり、少し離れたところに停めてあるマイクロバスへと乗り込んだ。
 運転席付近には社内を前後に間仕切る分厚いカーテンが設置されていて、しかもフロント以外の窓には全て真っ黒いフィルムが貼られ、外が見えないようになっている。
「一人増えて一人減ったから13人だよね。みんな居る?」
「眼鏡の先生がいません」
 誰かがそう言った。
「またあの人かー。ったく。おいらちょっと探してくるわ。そこのおにーちゃん、一緒に来てよ」
 丸守さんが僕のことをじっと見つめていた。
「え? 僕ですか?」
「そっ。名簿上だと赤間さんだけど、合ってる? 相模さんが来れなくなったって言ってた人だよね?」
「あっ、ハイ。赤間です」
 そう答えながら、トリーが本当に僕を連れてくるつもりだったことが、なんだか嬉しかった。
 僕ならばトリーを救えるって思っていてくれたってことだよね?
「ほら、赤間ちゃん、行くよっ!」
 丸守さんのこの初対面から「ちゃん」付けで距離詰めてくる感じ、取引先のお偉いさんを思い出す。
 僕らがバスの外へ出ると、すぐさま背後でバスのドアが閉まる。
「あの、どういうことなのか聞いてもいいですか?」
「いま、ちょうど丑三つ時だからね。にぎやかになるんだよ」
 にぎやかって。
「メンドクサイ話は抜きだ。赤間ちゃん、視える人だろ?」
「……いえ、前はそうでもなかったんですけれど、ここに来てからなんだか……え、わかるんですか?」
「うちの家系ね、代々強いのよ。職業柄」
 職業柄ってことはお坊さんとか?
 金髪マッチョのお坊さんってのはどうにもしっくりこない。
 それにしても丸守さんの体、あの犬の影に唯一怯えてなかったのは、犬の影より霊的に強かったから、だったりして?
「いっぱい居るだろ?」
 そう言われてみると、さっきのように足だけの子どもがたくさん見える気がする。
「あー、あんまり合わせるな。もってかれるぞ」
 もってかれるって。
 そんな風に言われると、背中がゾクゾクする。
「ははは。脅かし過ぎた。ごめんな。こいつらは今、オモチャに夢中だから、多分大丈夫だよ」
 多分、ってのが微妙に怖い。
「オモチャ、ですか?」
「ここの遊園地さ。もともと慰霊のためにこの上におっ建てたのさ」
「慰霊?」
「そうだよって、あー居た居た。おーい! 先生ー!」
 丸守さんが見つめる先、巨大な壁のところに誰かがうずくまっていた。
 『古の土地エリア』と『新大陸エリア』を隔てる巨大な壁というか崖。
 ゾンビロードの入り口とアクアツアーへの上り階段との間くらいの場所――さっき、子どもの影みたいなのが見えた場所。
 子どもの足だけとか、笑う声だけの子どもとか、そんなのをたくさん見てからだと、あの影のことを思い出すだけで鳥肌が止まらない。
「夢中で聞こえてないなぁ。先っ生ぇぇっ!」
 僕らは先生に近づいていく。
「先生、避難してって言ったらしてくださいよ。おかげでパレード始まっちゃったじゃないですか」
「んー、すまんすまん。でもこれ、ほら見てごらん。石垣だろうこれは」
 先生と呼ばれたのは眼鏡の中年というか初老というか。近くで見ると若くも見えるし年齢不詳感がすごい。
 その先生が、壁の一部が崩れたところを熱心にいじっていた。
 モルタルが剥がれて、その下の石垣みたいなのが露出している。
 あと今、丸守さんがパレードって言っていたのもとても気になる。
「パレードか? 丑三つ時が一番にぎやかになるからさ、そう呼んでいるだけ。深い意味はないよ」
 えっ、丸守さんって僕の考えていることがわかるの?
「赤間ちゃん、何驚いた顔してんの? パレードって何だろうって思ったんだろ? 十人中十人がパレードって何って聞くから、最近は先に言うようにしてんのよ」
 心を覗かれたわけじゃないことに少しだけホッとした。
「やはりここが伝説の丸馬まるま城址か……」
「おい先生っ」
 丸守さんは急に声にドスをきかせ、先生の肩をぐっとつかんで揉み始める。
「いっ、痛いよ! な、なんだよキミ。痛いじゃないか。放したまえ」
「悪い、先生。でもどこでその名前を」
 名前って、今言った「マルマジョウシ」って単語?
「そりゃ本当に濃い城マニアの中ではそこそこ有名な話だからさ。築城途中で放棄され、地図からもその名前が消された城ってね……はじめはワタシも城オタクが勝手に作った都市伝説だと思っていたんだがね」
 なんだかどこかで聞いた流れだな。
「たまたま隣の市に赴任してきたら、ご近所に住んでいるおじいちゃんが地図に載ってない城のことを教えてくれてね。ワタシはね、こう見えても城マニアなんだよ。血が騒ぐじゃないか。この地域のいろんな文献を片っ端から集めて調べて、かつて一時的に遊園地になったってところまで突き止めたんだよ。ほら、見てくれこの立派な壁の傾斜。これはおそらくもともとあった石垣に被せたんだ。すごいだろう、この角度。僕にはわかる。こんな素敵な傾斜は、石垣しかないって」
 丸守さんはしばらく何か考えていた様子だったが、再び先生の両肩をぎゅぎゅっと揉んだ。
「仕方ない。先生、あんたにも手伝ってもらうよ」
「手伝う? ワタシにできることかね?」
「ああ。バスに積んでるあるものを、あっちの城まで運ぶだけの簡単なお仕事さ」
「城? ……ああ、あのドイツから移築したってやつでしょ。あれはあれで美しいが、やはり日本の城にはかなわないよね」
 ちょっと待って。ドイツの城に日本の城?
 ここには二つの城があるってこと?
 新情報が多過ぎるのと、トリーのこととで頭の中がぐるぐるになりながら、丸守さんと先生についてバスへと戻る。
 すると一人、バスの外に立っていた。
 明日香ちゃんだ。
「大変です。瑛祐が……弟が戻ってこないんです!」
 事情を聞くと、瑛祐君がトイレに行きたいと言い出したらしい。
 父親が一緒に行こうとしたら「一人で行く」と言い出して、でも、ちょっと目を離した隙に居なくなってしまったということだ。
「まずいな。もってかれたか?」
 丸守さんがボソリとつぶやく。
 でも僕は違うことを考えていた。
 一瞬でも、トリーが戻ってきたのかな、なんて。
 ああ、ダメだな。
 トリーの望んだことに、まったく向き合えていない。
「よし、嬢ちゃん。これからおいらとこの頼もしい兄ちゃん達と三人で探してきてあげよう。とりあえずバスの中で待っていな」
 でもなぜか、明日香ちゃんはバスに戻ろうとしない。
「……私の責任なんです。私がしっかりしないから……」
 丸守さんが明日香ちゃんの目の前で手をひらひらさせるが、明日香ちゃんはそれが見えていない様子。
「まずいな、この子もか……ったく。だから子どもはダメだって言ったのに小沼ちゃん……」
 バスのドアが開き、丸守さんは明日香ちゃんを無理やり中へと押し戻した。
 丸守さんの声が大きいからかバスの外に居ても話し声が聞こえる。
「えっと、ネイデさんとトワさん、この子が外に出ないよう、二人でしっかりと押さえておいてくださいね。何があっても、です」
 眉間にシワを寄せながら降りてきた丸守さんは指を三本立ててため息をつく。
「行方不明は三人。ご両親も探しに行っちゃったそうだよ……おーい、横開けてー」
 丸守さんが指示を出すとマイクロバスの側面トランクのドアが開く。
「あー、ここでモメてても時間がもったいない。先に儀式を行う」
「儀式ですか?」
「大丈夫。おいら一人でできる儀式だから。赤間ちゃんたちは荷物運びだけでいいのよ。本当は丑三つ時になる前に終わらせたかったんだけどね」
 丸守さんが側面トランクから取り出したのは、ゴルフバッグが四つ。
 そのうちの二つを自身で両肩に担ぎ、僕と先生に対して残り二つを指さした。
「一人一つでよろしく」
 側面トランクが閉じられる。
 言われた通り担いでみると、ずっしりと重い。
 ゴルフはやったことないしゴルフバッグも初めて持ったけれど、こんな重たいものを担いで長時間歩き回るとか、どんだけハードなスポーツなんだろう。
「ま、丸守さんっ、重すぎやしませんか? これ中身ゴルフクラブじゃないですよね? 何が入ってるんですかっ?」
 先生が悲鳴を上げる。
 そうかそうか。本物のゴルフクラブはここまで重くはないのか。
 先生が居なかったら確実に勘違いしていたところだった。
「向こうで開けるから……まあ開けてのお楽しみだ」
 そう答えると丸守さんはホラーランド内へは入らず、正面ゲート横の壁沿いを右の方へと歩き始めた。
「中に入らないんですか?」
「こっちに近道があるんだよ。お城までのね」

 しばらく歩くと足元にひんやりとした風を感じるようになる。
 左側はさっき見た壁くらいの高さがある崖、右側は背の高いフェンス。
 雲が出てきているのか月の灯りも薄くなり、不安ばかりが増してゆく。
 やがて正面にもフェンスが設置された行き止まりに着くと、壁に小さなトンネルが掘られているのを見つけた。
 トンネルの大きさとここまでの舗装路を見る限り、駐車場からこのトンネルの先までずっと車で行けそうな感じ。
 まあ、あのマイクロバスはサイズ的に無理だろうけど。
 入り口には錆の目立つ鉄柵。
 柵は小さな車輪付きで、鉄柵自体をスライドすれば壁の中へ収納できるようになっている。
 そしてこの鉄柵にも、入り口で見たのと同じような太い鎖と大きな金属製の錠前がつけられている。
 しかもこっちのはダイヤル式じゃなく、鍵がないと開かないタイプ。
「こっちの鍵は鍵がないと開けられないタイプなんですね」
「敷地内はね、回せるやつはダメなんだ」
 何がダメなんだろうと意味を考えているうちに、丸守さんは慣れた手つきで錠前と鎖とを外し、錆びた鉄柵を開けた。
 しかも鉄柵を開けきり、その鎖と錠前とで今度は収納された状態で鉄柵を壁へと固定している。
「ここいらの高台は、石垣と高さが一緒だねぇ。するとこのトンネルは石垣の中を突っ切って掘られてるってことか? しかし随分と狭い。壁はコンクリートで固めているのか」
 先に一歩中へと踏み込んだ先生に続き、僕もトンネル内へと足を踏み入れる。
 夏だとは思えないくらいひんやりとしている。
「ああ。これ以上広くすると車じゃ通れなくなっちゃうからね。開園当時はここからゾンビハウスとお城とに食料やらなにやらを頻繁に運んでいたから、人力じゃあしんどくてね」
 トワさんがハマっていたエレベーターを思い出す。
 あのエレベーターを降りたところがこのトンネルにつながっていたのか――あれ?
 広くすると通れなくなるって言った?
「ヒッ。びっくりしたっ」
 先生の甲高い悲鳴が反響するトンネル内が明るく照らされている。
 丸守さんがいつの間にか装備していたヘッドランプを点けたようだ。

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