【小説】野辺帰り 8/8
#8 しあげ
車が走る音さえも聞こえない。
自分たちの足音と馬が牽く送り車の車輪の音だけ。
昼間とは思えない静寂の中、帰路を粛々と歩き続ける。
普段なら沿道の田畑で農作業をせざるを得ない人たちは、通り過ぎるまではこちらに背を向けてしゃがんだりしているものだが、今日はそうやって外に居る人自体を見かけない。
相次ぐ分家筋の当代の死によって、送り帰りの儀式の効力が疑われているのは事実だ。
いや違うか。
疑問視や反感の矛先は、儀式自体ではなく僕に対してだ。
儀式の付き添いを経たわけでもない未熟者が、そして何より愛生穂の自殺の原因になった僕が、当代を継いだということを、啓介でなくとも許せない者は少なくないのだろう。
表立って言ってこないのは、僕が辞めてしまったら困るのは彼ら自身だからだ。
だからといって悪意に満ちた噂話を僕の耳に届く範囲でもやめたりはしないけれど。
それでも構わない。
僕がこの儀式を続けているのは、あいつらのためじゃない。
先々代のように誇りがあるからでもない。
桃歌のためだから。
だから手綱を引かない方の手はずっと握りしめたまま。
そうやって桃歌への想いで自分の中をいっぱいにしていれば、影のことを忘れられている間は、本当に足の重さを感じなかった。
本当にあっという間だった。
死上げ部屋の前へと到着するまでは。
「野辺ーのー帰ーりーのー死上ーげーなーりー」
手綱を馬留めに引っ掛け、まずは馬に一礼する。
匣鞍の中から飯鉢と、その中身を移した帰り包みとを取り出す。盆板はそのまま残す。
もしもここで白米や小豆がこぼれていたら、帰り包みの中へ移さねばならない。
今回は御曽木堂を出るとき慌てていたが、運良くこぼれているものはなく、何事もなく匣鞍の扉を閉めた。
更に一礼し、今度は送り車の脇へと移動する。
そして裏返ったままの台板の上に帰り包みを広げる。
そこには飯鉢から移した白米や小豆が無造作に在る。
飯鉢もその包みの上へと置き、礼をしてから呪いの言葉を唱える。
御曽木堂で骨壷を収めるときとはまた別の言葉。
この言葉を唱えることで、送り車に誤って憑いてきてしまったモノたちを、送り車からこの包みの中へと移せるのだと聞いた。
あの黒い足を見る限り、あまり効果はない気もするが――だが儀式を途中でやめてはいけない。
次はいよいよ死上げへと入るのだから。
帰り包みを再び閉じ、きっちりと縛る。
馬に向かって礼をする。
「馬ーをー俗ー世ーへー帰さーん」
馬に匣鞍、送り車については、これより先は先々代が清めてくれるが、もしも『おくりもん』が一人で付き添いもいない場合は、死上げの儀式の後でこれらの清めをしなければならない。
一人じゃないというのは本当にありがたい。なぁ、桃歌。
僕は一人で死上げ部屋の前へと立つ。
帰り包みを小脇に抱えたまま片手で橋屋の戸を開き、中から境橋を取り出す。
馬も送り車も俗世へと帰したそれ以降、帰り包みは地面に置いてはいけない。
片手で死上げ部屋の入り口へと境橋を渡するのはそこそこの腕力が要る。
が、最初の頃こそ先々代に不安な顔もさせたが、最近はもう問題ない。
境橋を渡し、その上へと乗る。
死上げ部屋の鍵は四桁のダイヤル式南京錠。
今は桃歌の誕生日にセットしてある。
そしてこの鍵は死上げ部屋の扉には引っ掛けず、中へと持ち込む。
扉の内側にも金具が設置してあり、内側からも南京錠による施錠が可能なのだ。
死上げの最中は鍵をかけることになっている。
影はともかく死者はもと人間。物理に干渉できない存在ならば、この「鍵をかけた扉」が一種の結界として作用するから。
南京錠を閉じ、草履を脱ぐ。
片手に帰り包み、片手に脱いだ草履を持ち、供養壇の前へと正座する。
供養壇がなぜ「井」型に組んであるかというと、その中央に草履や帰り包みを入れ、一緒に燃やすためだ。
いわゆるお焚き上げに近いこの儀式が「死上げ」だ。
そのため、この死上げ部屋はとても天井が高い。
もちろん『おくりもん』は黙って燃える様を眺めているわけではない。
火を付ける前の呪いの言葉、燃えている間の呪いの言葉、火が消えたあと、部屋の四隅の日本酒を燃え殻にかけるときの呪いの言葉、と、色々と忙しい。
供養壇に向かって礼をする。
まずは草履を供養壇の中央へと置く。
次に帰り包み――なのだが、きっちりと縛ったそれをわずかに解く。
袴の中に隠し持っていた小型のクッションケースを取り出し、中の白米と小豆とを半分ほど移す。
クッションケースのジッパーをきっちりと閉じ、袴の中に再び隠す。
時間をかけず手早く済ませると、帰り包みを再びきっちりと縛り、供養壇の中央へ。
そこからは何事もなかったかのように、ここからは真面目に死上げの儀式を終わりまで執り行う。
本来の儀式にはないことをしているというのを、よりにもよって死上げるべきものを密かに抜いていることを、先々代に知られるわけにはいかないから。
以前、愛生穂が教えてくれたことがある。
なぜ他所みたいに野辺送りだけじゃなく、野辺帰りの儀式までが必要なのか、を。
『おくりもん』に教えてはいけないその理由を、本家に伝わる部外秘の「伝説」を、僕に教えることで、愛生穂は彼女なりの誠意なり好意なりを示したかったのかもしれない。
当時は「だから何?」程度にしか考えてなかったし、それで愛生穂に対する好意が芽生えたわけでもないが、今では一応の感謝をしている。
本家筋がこの地を治められたのも、しょっちゅう途切れる血筋のために分家筋を四つも作ったのも、野辺が忌み地となったのも、自分たちの血を引く者が死んだ後に贄となることと引き換えにしたから、という伝説を教えてくれたから。
生きている間だけ繁栄を謳歌し、死んだご先祖はどうなろうと構わない、という傲慢で尊大な呪術的な契約。
だが実際に自分たちが贄となった後、その苦しみの酷さに驚き、生者たちの繁栄を終わらせようとする――つまり、子孫を繋ぐ前に自分たちが押し込められた野辺へ、呼ぼうとする。
御曽木堂――かつては「身削ぎ堂」と呼ばれたあそこへ、本家筋や分家筋の者たちが近寄らないのはそのためだ。
啓介は野辺でその贄となった連中にしがみつかれたまま此方側に戻ってきた。
そこから啓介はおかしくなった。
もともと啓介は愛生穂のことを好きだったらしいという噂はあったが、それでも普通ならば愛生穂の骨壷を奪おうとはしないだろう。ましてや止めに入った人を刺し殺すなど。
南の先代は、自分を刺した啓介が逃げやすいよう啓介を追う者たちの邪魔をしたという噂も聞いた。自分の息子だということを知っていたのかもしれない。
啓介は逃げ、その後、死者が相次いだのは、結論から言えば啓介がその軒先に潜伏した血分かれの家の者たちだった。
その事実と、愛生穂から聞いた伝説とが重なって、僕はこの方法にたどり着いた――死上げなかった白米や小豆を血分かれの家の敷地内に撒けば、そいつらが野辺へと逝くというこの方法に。
啓介が実際にその手にかけた人数は少ない。
啓介自身の父親と、僕の叔父と、そして桃歌だけだ。
愛生穂の自死を僕と桃歌のせいにした。
啓介の顔を知らなかった桃歌だが、啓介に取り憑いている黒い影の塊に気付いて僕をかばって、僕だけが生き延びてしまった。
取り押さえられる直前に啓介は、図らずも僕の父――先代の事故の原因になったことを白状した。
「どうしていつもお前だけ生き残る? 愛生穂も、お前の親父も、お前の恋人も……どうしてお前だけ生き残る?」
そんなこと僕は知らない。
だいたい愛生穂は自殺で、他の二人は啓介が殺したのに。
桃歌を喪って僕一人生き残るくらいなら、一緒に死にたかった。
僕が病院で生死の境をさまよっている間に、啓介は自殺した。
あのときは本気で絶望した。
ただ、僕が生き残ったのにはちゃんと意味があったのだ。
死上げの火は燃え尽きたが、僕の中に燃える復讐の炎は未だに燃え盛っている。
本家筋や分家筋が繁栄を続ければ、愛生穂や啓介が野辺の身削ぎ堂の中で、苦しみ続ける。
だがそれでは、うちの裏手にある『おくりもん』代々の墓の横に作った桃歌の墓に、桃歌が戻ってこれないのだ。
桃歌が死んだ後、桃歌の親族が本当に居ないのか、改めてちゃんと調べた。
そしてわかったのが、もうずっと何代も前の分家筋から逃げ出した嫁が、身ごもっていた子どもの血を引く最後の一人が桃歌なのだということ。
僕が血分かれを全て身削ぎ堂へ送れば、身削ぎ堂の奥に居る何かとあの一族との契約は破棄され、桃歌の魂も開放される。
僕は死上げの儀式を終え、いつもの片付けへと戻る。
「見える」母さんが家に居ないのは幸いだ。
疲れたといって早く寝込み、先々代も寝付いた深夜に白米と小豆を撒きに行く。
地域内の血分かれは全て把握している。
人に見られたくないから灯りは点けない。
儀式のときとは違い、妙な高揚感に包まれている。
桃歌。待っていて。
暗闇の中で手を握る。
いつかこの手の中に、桃歌の影が戻るの心待ちにしながら、僕は連中を根絶やしにする。
<終>