愛媛県松野町発の紅茶(Press release vol.1)
目指したのは英国に負けない紅茶
2021年6月から愛媛県でいちばん小さなまち松野町で紅茶づくりを開始しました。
目指したのは英国の紅茶に負けないくらい、ミルクティーに合う渋さと香り。国内で親しまれるだけではなく、国外に出していってもこれが日本の紅茶なんだ!といってもらえるような本格的なものをつくることが目標でした。
紅茶をつくるためには、やわらかな茶の芽を収穫しなければ酸化発酵がうまく進みません。手早く収穫した茶葉を時間をかけて選別、萎凋、揉捻、酸化発酵を経て、おいしい紅茶へと作り上げていきます
松野町でなぜ紅茶
松野町で紅茶をはじめる発端は2018年の夏。蕨生地区の茶の生産が危機!?
松野町の茶は農家の方々の高齢化や茶の価格の下落に悲鳴をあげていました。栽培に必要な肥料や霜除ファンの電気代などコストを考えるとまったく採算に合わない状況。そこに農協の茶工場の老朽化が加わり「もうやめようや」というところまできていました。
松野町の茶は意外と古いみたいで、中世の山城、河後森城に茶が自生していることから、1600年頃にはあったようです。ですが、本腰を入れて茶の栽培に着手したのは、およそ70年前。お茶処である四万十川の支流で、夏は暑く冬は寒い山間部特有の寒暖差と、深い川霧が発生するお茶にとってこのうえない好環境で、山を開墾しお茶専用の園地を築きました。そんな松野町のお茶は「まつのかほり」という地域ブランドで有名でした。
その茶畑をなんとかできないかと地域の方と一緒にすることになったのが松野町紅茶プロジェクト。通称「カテキンズ」でした。どうしたら紅茶ができるか毎週末に集まり、議論した結果、久万高原町で紅茶をつくっている農家民宿てっぺんさんに紅茶の作り方を指導してもらうことになりました。
てっぺんさんの紅茶作りの様子
紅茶づくりは難しい
農家民宿てっぺんさんで紅茶の作り方を学んだ後、何度も紅茶づくりの試行錯誤をしました。紅茶は茶葉の乾燥の仕方、揉み方、酸化させるときの温度や時間など味の決め手がたくさんあります。最初に僕たちが作った紅茶をJR松丸駅前の「軽トラ市」で出したら「おいしい番茶やね」と言われました。紅茶らしい香りと渋みが足りず、かなり爽やかな仕上がりになってしまったのです。
その後も何度も何度も試行錯誤を繰り返していくうちに、納得のいく紅茶ができるようになりました!
そして松野町の紅茶が完成
そして徐々に農協がお茶から撤退していき、荒れる茶畑が多くなってきました。半年なにもしなければ茶畑は森になります。もう翌年には農協のお茶部会が解散するという頃、茶畑を約4反(3,888㎡)借りました。お茶部会が解散するということは、もう農協に出荷ができないことを意味しています。つまり松野町のお茶は令和3年をもって終焉を迎えることが決まっていました。その茶畑の草を刈り、茶の木を剪定するところから、松野町の新たなお茶の歴史がはじまりました。
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剪定をすると心が透き通るような見事な茶の木が現れました。そのお茶を2021はじめて収穫し本格的に紅茶として販売することができました。3年がかりの紅茶プロジェクトはようやく助走できるところまできました。
もう終わろうとしていたお茶を松野町を代表するハイブランドにしていく。End&Startの意味を込めて、もう一度という意味のある「Re」と終焉を意味するピリオドを屋号に「Re dot」としました。
まつちの和紅茶は少量しかつくっていません。
というか少量しか作ることができません。
おいしい紅茶になるように、茶畑の管理から加工まで、店主一人が一貫して、手がけているからです。
松野を中心とした道の駅で販売しています。
現在、以下のショップで販売しています。
虹の森公園かごもり市場(松野町)
森の三角帽子(鬼北町)
よって西土佐(四万十市西土佐)
四万十川に最も近い愛媛県の松野町。宇和島からクルマで20分。
ぜひお近くにお立ち寄りの際はチェックしてください!
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