伸び縮みする韻律と廻る表記 小川楓子『ことり』(港の人)を読む
はじめに
久しぶりに恐ろしいものを見たような。
それはネガティブな意味でなくて、今までの自分のなかの常識が「別に常識じゃないよ」と言われたような。
それはかつて阪急電車に乗っていて目の前の座席にボヤッキーがいたような
(大学生の頃、実際に目の前にボヤッキーのマスクを被った人が座ったことがあった)
それはかつて引っ越しの手伝いをしたときに、そのグチャグチャだった部屋について家の主が「たしかに混沌としているが、ここには秩序がある」といったような。
梅田の街を歩いていて中崎町に迷い込んだような。
なにかドキドキワクワクする出会い。
ひとことで言えば「それが小川楓子『ことり』なのだ」
小川楓子『ことり』は、575の韻律、言葉の配列、その現状のルールとは別の枠組みで世界を描き取ろうとしている。
気になった作品を鑑賞していく
水門
栗の花が咲いている。それはサーカステントの万国旗に見えるかもしれない。そこまでは直感的に把握してみたが、そこから、現在、目の前に、「白湯」があり、これをまさにいま飲もうとしている展開への繋がりがまったく見えない。振りちぎられそうな展開だが、なぜだか白湯に落ち着く。
「眠たげなこゑ」という捉え方がいいなとおもった。その眠たげなこゑに自分が生まれてしまったという自己認識、そして一緒に鱈のスープを飲む。まぁ、いいかと思えるような軽さなのか複雑さなのかの判断が難しい。
夜の番地
夏の霧が出ている。そこにおとぎ話のように現れる馬車。なんだかノスタルジーな世界。
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