2022.11.10 (木)『谷さやん句集』(朔出版)を読む「五七五は言葉の絵」か
『谷さやん句集』が届きました。
谷さやん句集「○○」ではなく、谷さやん句集というのが本のタイトル。
そこがシンプルにいいなと思いました。
軽み主体で言葉のもつ明るさが際立っていて(元)船団会員の句集の中で坪内調を越えていそうな俳句がいくつかありました。
船団会員は坪内稔典さんリスペクトが強く、使用する語彙や表現技法が坪内稔典さんの俳句に似通うので「坪内稔典の金太郎飴」と評されることが多く、船団にいた私としても聞かされるたびに心が痛かったのですが、『谷さやん句集』のいくつかの句は谷さやんさんの独自文体といって良いほど完成度が高い俳句になっているような気がします。
捻挫して燕の空を遠くする
枇杷食べて改憲論はあとまわし
靴べらという影つかむ夏の朝
椎茸をフォークで刺して馬のこと
ネクタイに何頭の象クリスマス
出港のデッキが軋む蟷螂も
花野では落馬のように抱かれたい
帰宅してまず伊予柑にグータッチ
坂道の虻も嫌気も消えて空
蟻はふとサヨナラ勝ちをしたいなあ
サキソフォン奏者は遺影缶ビール
挙げた句の構成自体は坪内稔典調といっていいものも含んでいますが、形式だけではなく中身で勝負できる句に仕上がっているように感じました。
特に「出港のデッキが軋む蟷螂も」は「出港のデッキが軋む」という言い切りから「〜も」という下五の着地に坪内稔典イズムがあるのですが、それを上回るだけのイメージの喚起力があります。たまたま船に乗ってしまったカマキリという滑稽さ。波の音。風の匂い。蟷螂という小さな虫が一身に受けとている感じがします。
そしてこの句集の評をしている坪内稔典さんの「谷さやん俳句を読む」にも注目しました。
坪内さんは私が挙げた「出港のデッキが軋む蟷螂も」を含むいくつかの句を例にして言葉の負のイメージに対して季語が魅力的な転換を促しているといいます。そして俳句について、思いや気持ちを「五七五の言葉の絵」にしたとき短い詩になるという俳句の特性に言及しています。
この「五七五の言葉の絵」という言葉どこか不思議な感じがしました。
「五七五の言葉の絵」という観点で俳句を読む分には構わないかも知れませんが、作句をする場面において、この言葉はとても啓蒙的で危険な感じがします。
振り返ると『過渡の詩』を出した頃の坪内さんは、俳句は作品ごとに俳句の俳句性を獲得するという主張をしていました。この坪内さんの姿勢に強く共感している私としては、「五七五の言葉の絵」という表現に冷凍食品のような手軽なイメージを想起してしまいました。
かつて桂信子の発句的な世界からはみ出さないと評し、破綻しても新しい表現を求め詩に傾倒した富澤赤黄男に加担したいと言っていた坪内像とは大きく違います。
むしろ『過渡の詩』では、言葉が絵になるまでに崩壊してしまうものに一握の可能性を感じていたのではないでしょうか。私はいま「五七五の言葉の絵」の前に止まってよく観察し考察をしたいと思います。
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