日々の機微(41)絶望の季語そしてハードル
キャンプ、季語という洗脳
クルマを走らせているとキャンプ場があったので少し立ち寄ってみました。
まだ肌寒く風も吹いているのに、数えるだけで河川敷に6つもテントがあり、別々のグループがキャンプしていました。
最近では、冬キャンプも流行っているからなぁ。と思ったのですが、ふと春のキャンプも楽しいし、秋のキャンプも楽しいし、そもそもキャンプは四季を楽しむアウトドアではないのか?と思ったのでした。
たしかに、他のアウトドアと比べてみてもキャンプは四季を通じてやる気がします。
たとえば沢登と比較すると、冬は「水涸る」という季語があるくらい、水が少なく、そんなときに沢登はできないし、そもそも寒い時期に沢登をしたくないので、沢登はどうしたって冬のアウトドアとは言いにくいし、沢登は季節感として絶対に夏だよな!と思いながら、夏の歳時記を開いてみたのですが、逆に沢登は角川の文庫版の歳時記に載っていませんでした。
んー、この時点で歳時記は、なんかチグハグやなぁと思いながら、他の気になる季語の説明を読んでいると冬の季語として載っている「マスク」は次のように説明されていました。
コロナ前に出た歳時記ですが、なんか、例外がすでに多くないですか。。。花粉症のときに使うマスクって逆に季感ないですか???
という、そんな感想を抱いたのでした。
思えば、紙切れ一枚にゴムが2本ついているものを、冬の季語と認識するのは、俳人だけなわけで、マスクは冬の季語というのは、洗脳に近い信じ込みがあるような気がしました。
コロナ禍を通過して、もうちょっとがんばれば季語という洗脳が解けそうな気もしますが、コロナ禍を通ったのに季語や無季俳句の議論も加熱する感じがないのは少し寂しいですね。
「俳句という絶望」という感じです。
クルマから徒歩
キャンプ場からの話の続きで、ふとクルマを運転していて気になったものでもあっという間に過ぎてしまって、光景を心に留めておけないと感じることがあります。
助手席に乗っていたら30分あればいくつも俳句を作れるのですが運転席だとなかなか作れません。
昨日、キャンプ場に、ふらっと立ち寄ったのはとても自分の中で新鮮なできごとでした。
キャンプの様子だけでなく、菜の花、四万十川、そして、まだ耕こせていない田んぼ、古い旅館、駅、ボンカレーの看板、椎茸の原木販売所。いろんなものが見えてきました。
昨日のキャンプ場がある場所は、ときどき通る道ですが、クルマを止めてみると、見え方は別世界。
そこから妄想は広がっていきます。
たとえば通勤の定期区間のある駅で。ふらっと降りて30分歩く。
大阪に、もしいるなら、こんなことしたいなと思ったのでした。
同じ場所で長く暮らすと本当に見えてこないものがたくさんあります。
だからこそ、意識して降りる。そして意識して歩く。そして意識して見るということを心がけたいと思った出来事でした。
#「お麩はふわふわ」と「ハッシュタグハッシュドポテト」について
タイトルはどうでもよかったんです。作品発表としてTwitter(新X)が最適な場所とは思わないのですが、トライアル&エラーの一環として旧作新作を投稿することにしました。
#ハッシュタグハッシュドポテトは 、2023年の旧作既発表句を推敲して投稿。
#お麩はふわふわは 、今年の作品を投げ入れています。
なぜ意味のわからないハッシュタグ?
それは誰とも被りがない方が投稿する作品が見分けられるから。
それだけです。
前に同じ理由で「サンライズメロンパン」というハッシュタグを作ったときは、周りからめっちゃ心配されたので一応、先に解題しておきます。
まぁ、俳句作品をまとめるときの章題として使えたらいいかという意図もあります。
言葉のもつ恣意性(言葉と意味との必然性)を薄く薄くしたいと思っているので、そこに意味を見出したくないというのが今の気持ちです。
決して頭がバグったわけではありません。。
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