俳句の新人(黒岩徳将)ー四十七都道府県新人探報ー(つくえの部屋4号転載)
俳句の新人
黒岩徳将
俳句の新人とは?
俳句の新人とは何か。俳句歴が浅ければ新人なのか。それは確かに新人だろう。総合誌に載ったら新人ではないのか。たとえば、角川「俳句」の精鋭十句に掲載されている俳人はどうか。さすがに十二句欄や十六句欄に載っていたら新人とは言わない気がする。新人賞を穫っていたら新人か。それは新人だろう。たとえば俳句四季新人賞の募集制限は四十五歳以下もしくは句作歴十年以内である。十年やっても四十五歳でも新人なのか。新人なのである。では第一句集を出せば新人か。新人のような気がする。気をつけなくてはならないのは、金銭的時間的理由により句集を上梓できず、句作開始から第一句集までのタイムラグが長い俳人も多いという事である(アクセスの問題で言えば、ネットプリントやSNSで自作を発表する俳人も増えた)。このように、なにをもって新人とみなすかは様々な判断軸がある。本稿では、まだ総合誌などではさほど表に出ているようには見えない「俳句の新人」とおぼしき作家を中心に、ただひたすらに県別に紹介する(転居の可能性があり、在住地が変更している可能性がある)。「○○県には△△氏がいるぞ、見逃すな!」などの情報があれば是非教えていただきたい。というか皆さんにも探していただきたい。
四十七都道府県新人探報
北海道
息継ぎをしながら星月夜にもぐる 音無早矢
(一九九八年生 北海道在住 「艀」、「蒼海」、「itak」所属。「頼れる星に」関西現代俳句協会HP二〇一九年一月)
星にまつわる十句一組作品。星月夜を客観性をもって描くなのではなく、星月夜と同化する手前の自己を見定めた。空の黒から星の光へ懸命に上り詰めようとする。自己と世界の対比構造が、主体の呼吸を荒くさせる。その他に「銀漢のあふるるごとく窓に罅」など、現実をそのままうつしとるのではなく、スパイスを二回ほどふりかけるの作品が多い。虚とロマンの世界のなかで作品の幅が広がってゆけば、作家性に強靭さが増して行くのではないか、という予感がする。
鈍器のやうな別マの厚さ秋隣 田島ハル
(「雪華」所属 二〇一八年十月号)
「別マ」は少女向け漫画雑誌「別冊マーガレット」のことである。漫画雑誌が鈍器だという比喩は、日常ではそこまで珍しくないが俳句ではさほど言われていない。この句の眼目は「別マ」と「秋隣」である。「別マ」は、その呼称の面白さから、本家である「マーガレット」よりもその名が通っている気がする。メディアミックス化された「アオハライド」「君に届け」などが知られている。秋隣を立秋の前だと思えば、夏休みも半ばにさしかかった自室で宿題もはかどらない女子高校生が、ベッドに仰向けになった状態で「別マ」を掲げて広げて読むと解釈可。そこに漂うのは倦怠感だ。どちらかというとこの句自体の面白さよりも、歴史ある俳句結社誌にこの句が掲載されている事と、大真面目に「別マ」を調べながら四百文字以上を使ってこの句を鑑賞している橋本喜夫主宰の懐の広さに嬉しくもなりつつ、「『別マ』ぐらいはせめて調べてよ」と、若者言葉に込められた現代性を掬いとってほしいと先輩俳人たちに願う気持ちも半分くらいある。ただ、橋本は作者の田島が生業として漫画家である事実込みで主体=田島として読んでいるが、そうでなくてもこの句は楽しめるのではないかとも思う。
青森県
見つからず。弘前高校が昨年俳句甲子園に出場していないため、直近のデータが取れなかった。作品発表をしている大学生以上の若手は見つからなかった。
秋田県
運動会文学好きな君走る 高橋文哉
(当時秋田西高等学校 『十七音の青春 二〇一八』
最優秀賞作品KADOKAWA)
運動会は、いやでも走らなければならない場面というものが存在する。「君」は「私」が見ている事を知らないのかもしれない。誰にも知られないまま自身から過ぎ去ってしまうかもしれなかった感情が、俳句形式によって世界につなぎとめられた。何の衒いもない筆致であり、「好きな」の鈍重な趣が一句の世界観に合う。第二十回神奈川大学青春俳句大賞最優秀作品五篇のうちの一篇。三句一組作品で、他に「星月夜幼馴染みの家を見る」など。「見る」が、省略できそうでできない。「君走る」もそうだが、「見ている私」が主眼なのに嫌らしさを感じないのは、純粋な主体が作品の中で演出されているからである。こういう句を書き続けることに、流麗なレトリックなどは必要ないのかもしれない。
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