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【映画】感想:『聲の形』

映画で苦手なジャンルがあるんですよ。

「ノンフィクション感動系」と「恋愛系」。避けて生きてます。

『聲の形』…実は、ざっくり印象とざっくり人の言葉だけで、めっちゃ避けるやつやーって食わず嫌いだったのですが、いろいろ規制のあるNHKさんでノーカット(NHKさん故にCM中断なし)でやるっつーことで、録画をしとりました。

前述の通り、苦手ジャンルの可能性も高いので、若干にアルコールをたしなんで、ATフィールド張ってから観てたんですが…

いやー…9月の1か月分の涙は流しちゃいましたよ。

まあ、私が思い込んでた苦手映画要素自体は、登場しないことはないけれども…表現の中で登場する要素であっても、主題ではないのかな、と思った次第です。

一口に言うと、…つらい。しんどい。あの感情は。


《…この先ネタバレあるかも!》


あぁ、こういうやつ、クラスに居たよー…あるいは、自分自身もその一員になったことはないと言い切れない…小中学生の同級生のクラスメイト。たぶん、明確な「いじめ」って感覚のないままに、自分の立場と、自分は虐められたくないとか、庇ったら次は自分になるとか、クラスの中心核に居たい感じとか、好きな男子にアピるためとか…大人になった今だからすこし冷静に見えるんだけど、当時その世界がすべてな子どものときの思いとして、胸糞悪いんだけど自分に去来する感覚があって、それが大変しんどい。ああーってキュッとして涙が止まらず。

また、人それぞれの狡猾さ、性格の違い…いつでも自分主体に人のせいにする言い方、この前まで仲が良かったのに手のひらを返した後の裏切りや気まずい感じ、どこまでが本心で偽りか、あるいはどこまでも本心か、自覚があるのかないのか…中高生くらいのころの残酷な黒さが、実に息苦しい。

あと。作中に2度出る、自死の描写。

『わたしが生きてない方がいい』

と、人に言われるあの気持ち。そして…思いつめるまでの状況、その感情の言葉。自分のせいでなくとも自分のせいとして取り込んで、自分を自分で追い詰めていく。こう言われるのは私のせい、嫌な思いをさせたのは私のせい、私がいなくなればみんなが幸せになるんでしょう…本当は違うのに、その誤解や思い込みは解消することないまま、心を取り返しのつかないところまで蝕んでく。
自分で言ったことはないけど…これはごく個人的な感情と共に、心臓を鷲掴みにしてぐわーーーーってされるような気持ち…はまた別の機会に。

硝子は虐められながらも、嫌な思いをたくさんしながらも、将也と再会して明るくなってからは幸せになれるかもしれない…と私は思っていたにも関わらず…いや、だからこそ、積もり積もって心がオーバーフローした行動が、形容しがたいやるせなさ、そしてその結果、将也がケガを…またしても自分のせいで傷ついてしまうという事実を最大限突きつけられるという追い打ち。

自分が、小学生・中学生のときに実体験があった何か、あるいは全てのエピソードや感情と苦しく痛いほどリンクして、本当に切ない程感情に共鳴してしまって、涙が中盤以降、ほぼ止まらなかった。これは、ノーカットで見るべき。CM跨ぎで感情が軽減されてはいけない映画だった。

どの時代、どのシーンでも、上手くできないコミュニケーションが山積して、そのゴールで最悪の結果の引き金を引いてしまう。この作品がアニメーションであっても普段の社会そのものだし、創作物でフィクションであっても現実とリンクする。どこにもないけど、日常にあふれている光景。
コミュニケーションすること出来ることは幸せなこと、様々な方法で取るべきこと、それでしか人同士は幸せになれない。コミュニケーションの拒絶や断絶は、必ず誰かを傷つけて壊してしまう…。

硝子が耳が聞こえない、喋れないことは象徴的かもしれないけれど、「人の気持ちを捉えらない。」「人に伝えない。」「人に伝えられない。」それは他人より一つ障壁となるものが多いのかもしれないように見えるけれども、実は、誰もが自分で耳を塞ぎ、心を塞いでいる。それは見た目で分かることよりも、障害の有無よりも、悲しい。

それでも、たくさんのコミュニケーションの積み重ねが、不器用でも少しずつ分かり合い、感情を吐露し、幸せになれる可能性へ歩んで行ける。

そう、信じたいですね。

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