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線の恋病 第12話

テラスの食堂を後にした僕は、ゼミを飛ばし愛菜に会いにバスに乗っていた。お咎めは勿論、心配のLINEすら僕のスマホは鳴りはしない。耳元では着信音の代わりに興味も無い音楽だけがただただ惰性で流れている。

(プシュッ)

車体を揺らしながら、バスはゆっくりと足を止めた。河原町三条と駅名をアナウンスする車掌の声は、この駅名だけは特別ゆったりと声に出している気がした。殆どの乗客はこの駅で降りる。僕もバスから降りた。
町に降りた僕を幾つものネオンが迎えて照らす。午後8時に差し掛かった町並みは、いつもよりも体に馴染む光加減。
町に降りたタイミングで、丁度良く耳元の音色も代わった。片耳に填まるアイポッズからはAKBが懐メロとして選曲されていた。
僕は音が半分遮断された石畳をキャッチの視線を掻い潜りながら歩いて行く。急に進路を変える様な足取りは、昔友達と一度だけやってみたカラオケの精密採点みたいな軌道を描いていた。暫く歩くと待ち合わせの十字路が見えて来た。角を曲がる僕の足取りは採点バーから勢いよく音程を外し、そっと耳から覆いも外した。

「お疲れ様」

僕の言葉の先には馴染みの花壇に腰を下ろす愛菜が待っていた。久しぶりと声を掛けようと思っていたが、愛菜の顔を見て言葉を変えた。そんな僕にはに噛む愛菜。

「どこに行きたい?」

僕の言葉に愛菜はお酒が飲みたいと目先のバーを指差す。既に頬が少し赤らんだ愛菜と共に、行った事もないバーへと僕は足を運ぶ。
歩く途中、どうして今日僕を呼んだのと聞いてみた。奢って貰いたかっただけと愛菜は笑って返す。
社長な僕が目当てだったのか、それとも履歴の一番上が僕だったのか。どちらにせよ僕が選ばれた事にさして意味は無さそうだ。

店の扉を開け、案内されたカウンターに僕等は腰を下ろした。僕の横に座る愛菜は初めて会った時と少し感じが違う気がした。殆ど勘に近い様なものであったが、愛菜から香る香水の匂いが僕にそう予感させた。
僕が知らない数日の間に、失恋でもしたのかもしれない。
僕は愛菜の香水を自然に褒めておいた。
愛菜は僕の顔をまじまじと見つめ、言葉を告げる。

「なんか、てっちゃん少し変わったね」

僕が愛菜に思っていた事を先に言われてしまった。愛菜が変わったんじゃない?と僕が返す。愛菜は笑って手の甲を僕の口元に近づける。

「この香水、前と変わらないよ」

僕は言葉に窮してしまう。絶妙なタイミングでマスターが領収書を手元に置いてきた。席料だけを先に払うシステムらしい。僕はポケットから財布を取り出す。
すると、愛菜は

「似合わないよ」

と僕に告げる。
社長でもないただの学生には不似合いな財布。似合わない事は僕が一番知っている事。
しかし、この財布だけがてっちゃんである為のガラスの靴の様な物である。
黙ってしまう僕に愛菜は言葉を足す。

「普通、大金って言うのは長財布とかに入れるのにテープの財布なんかに入れてるから気になってたんだよね」

愛菜の言葉は僕と財布と言うより、財布と札束の事であった。
なんだ。愛菜にとっては200万の入る財布は見知った物であったのだ。
僕は紐も解れかけた財布から800円程取り出した。財布の見栄えは変わらない。

僕は何も見えていなかったんだな

初めて愛菜に会った時、僕は財布と僕自身を比べていたのだ。自分の嘘に勝手に溺れていただけ。愛菜の顔に視線を移すと、目の下に泣き黒子が見えた。
今、初めて愛菜の顔を僕はちゃんと見れた気がする。

「注文はお決まりでしょうか?」

見つめ合う僕等の元に、痺れを切らしたマスターが注文の声を掛けにきた。
愛菜はウォッカを頼んでいた。僕も愛菜と同じ物を頼んだ。
テーブルにはすぐさまウォッカがやってきた。バーとは何でもシェイクするものだと勘違いしていた僕は少し顔を顰める。
グラスに浸かる巨大な氷は横に座る愛菜の美しさだけを満面に映していた。

それにしても、財布にすら見た目を気にしている愛菜の事が気になった僕は一つ疑問を投げかける。

「愛菜はさ、恋愛も見た目が大切?」

恋愛目的の僕等にとって、ある意味最も適切な質問。そんな僕の質問に対し、

「てっちゃんはさ、テレビの中身なんか見て買うの?」

そのまま質問で返してくる愛菜。とりあえず僕は首を振る。あんな薄い液晶の中身なんて、想像すらした事がない。そんな僕に愛菜は言葉を続ける。

「私はテレビが見たいの。ハラハラする様なバイオレンスも、ほんのり甘いラブロマンスも、液晶の内側になんか映らないでしょ?」  

恋愛について答えているのだとここでやっと僕は気づいた。

「でも、精巧な中身があるからこそ色鮮やかに映るんだよね」

そう呟きながら愛菜はウォッカを口に含む。
グラスを掴む細い指すらも幾つもの光るリングで輝いでいた。
一口含んだ後、また愛菜は言葉を継ぎ足す。

「服を選ぶのも、体型を決めるのも全部、自分。行動も含めてね。
中身なんて曖昧なもの、私は信じないな」

途中から自分事に置き換えて話してしまってる様な口調。不細工な僕には少し皮肉めいて聞こえた。でも、愛菜が言いたい事はさっきの財布の中身みたいな事だと何となく腑にも落ちた。

「中身なんて、だれがいつ見てくれるの?」

細く呟く愛菜の言葉。少し火照る目元のグロスは涙みたいに光っていた。やっぱり失恋したのかもしれない。
僕が見るよと咄嗟に答えられなかった僕の唇は逃げる様にグラスへと向かう。
初めて口にするウォッカの味は消毒液みたいな味。ゆっくりゆっくりと喉に染み込ませてゆく。
誤魔化す僕に、

「てっちゃんってなんか変だね」

愛菜はまた笑って言葉を告げる。殆どぼろも見せてない筈の僕に予想外な言葉。

「なんで?」

「だって全然、私の事落としにこないもん」

社長の余裕?とエッジを効かせる愛菜。
言われてみれば、そうかもしれない。アプリを入れた当初は誰でも良いから付き合いたかったのだ。でも今の僕は誰も知らない僕として女と話す事が楽しくなってきていた。
また黙る僕に愛菜は居心地良さそうに肩を寄せる。
この日、どちらもアプリのプロフィールの事は話さなかった。羅列しただけの自己紹介なんて会ってまで話す内容ではないのかもしれない。
それに、今日の僕は見た目の話は何となくしたくはなかった。
僕はグラスの中身を一気に飲み干す。そして、数日間気になっていた事を口にする。

「改札でさ、なんでキスなんかしたの?」

僕の疑問に愛菜は首を傾げる。返答に困ってるというより、何の事か思い出せない感じであった。

「意味なんてないよ」

愛菜は口にする。そんな言葉が変に心にすとんと落ちた。僕の唇の安さに納得したのだ。

テーブルに置かれたグラスの中の氷は、愛菜の姿と僕の指先の色とが混ざり合ってカオスに輝いていた。
きっとこの氷の輝きにも意味なんてありはしないんだろう。

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