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サマーソニック2023リアムギャラガー見る為に一人で参戦するレポ4

(前回の話/レポ3)

(続き)

3月23日(木) 13:08 Gメール 受信トレイ タイトル
『e+(プラス)より《お知らせ》入金手続き完了のご案内』

これでもう後戻りはできない。
「フェス=浮かれるもの」という概念式は今の自分には当てはまらない。

これは戦いだ‼

暑さとの戦い、浮かれた若者との戦い、体力との戦い、人混みとの戦い、羞恥心との戦い、爆音との戦い、孤独との戦い、その中で自分がどのように楽しめるかという戦い。
謎の意気込み、得体の知れぬ相手との真剣勝負に臨む心境であった。

何故わざわざ大金を叩き、家族にも負担を掛け、そんな試合に挑まなければならないのか。 やはりそれは冒頭記したリアムからのリプライ「Yes soon」があったからに他ならない。
あの時の「soon(すぐに)」が指し示したのは「半年後」に日本で開催されるフェスのことであり、しかし結局はそれが「3年後」のサマソニとなった。ここで行かなければ、多分私の「soon」は一生やって来ないという気がした。
例えリアムギャラガーがまた近く来日することになっても、その時「観に行きたい」とならないかもしれない。
もしくは観に行けるような状況にないかもしれない、生きているかもわからない。
リアムだっていつ死ぬかわからない。

友達と「近いうち会おう~👋」とやり取りしてそれが3年後になればいい方で、中には一生会わない人もいるかもしれない。


ある程度まとまったお金(5万円から10万円くらい)を何かの目的に使うか悩む時、「あぁ、でもこのお金があれば近場の海外なら行けるかぁ」と思って諦めたことが人生で何回かある。しかし、諦める為の代替案として突如現れた「近場の海外」に行ったことなど私は一度もない。
『このお金があれば行ける海外』なんてこの世に存在しないのだ。
私はいつかタイに行ってみたいのだけれど、本当に行くとしたらそれは「タイに行きたいなぁ」と思った時か、「一緒にタイに行かない?」と誰かに誘われた時のみだろう。
〝じゃあ、サマソニに行かなかった代わり〟に行くわけじゃない。
サマソニに行かなくても、私は結局どこにも行かない。だったら今サマソニに行ったほうがいい。
リアムが言った「Yes soon」が、まだ自分の心に有効だった。

しかし、チケット購入から、子どもをお義母さんに預ける手配、宿泊先の確保まで完了するとあとはぼーっとしたり家出したり、ぼーっとしたりで、ほとんど情報収集することもなくあっという間に8月を迎えた。

6月にリアムの単独公演が発表されたことを後から知り、しかし1日のみ、当然売り切れ、もうどうにもしようがない、とにかくサマソニという怪物に改めて向き合うしかない。
心配なのは体力、あと熱中症にならないことだ。体力作りしようと思って結局やらなかった。むしろ1.5キロ太った。何やっているんだ。

慌てて色々調べ始める。「フェス」なので、当然他のアーティストも沢山出演する。とにかく今回のメインであるケンドリック・ラマーという人はすごいらしい。日本語ラップはたまに聞くのだけれど、本場の海外のラッパー、ヒップホップは全然わからない。通ってこなかった。
海外アーティストの音楽を歌詞の意味がわからないまま聞く、というのは分かるんだけど、英語のラップをほぼ全部何言ってるか分からない状態で聞く、というのは意味がわからない。 背景の音とか全体の楽曲の雰囲気とか、音が面白く聞こえてくるところ、それぞれ印象が違うのは分かるけどそもそも何のことを言っているのか、更にそれをどのように上手いこと言ってるのか、どのようにワードセンスがいいのか。 この期間では私はケンドリックをものにすることは出来なかった。とりあえず何にも見ないで曲だけ何回か聞いて、何かいい感じ、でも純粋なラップんとこは「ファッキン」か「ビッチ」のとこしかはっきり聞き取れない。
ざっとその曲が何について言及しているのか調べ、和訳も見ながら聞いてみるが当然早いので全然追いつけず、(ここでは〇〇のことを指している)みたいなのも連投されるので、もうとにかく余裕がない。

(続く)

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