セステート・タンゴ~「(私の)最後の1枚」の顛末
タンゴの名門オスバルド・プグリエーセ楽団から1968年に独立、その後のタンゴ界をリードするグループの一つとなった「セステート・タンゴ」。オスバルド・ルジェロ(バンドネオン)、ビクトル・ラバジェン(バンドネオン)、オスカル・エレーロ(バイオリン)、エミリオ・バルカルセ(バイオリン)、アルシーデス・ロッシ(コントラバス)、フリアン・プラサ(ピアノ)という布陣で、メンバーのうちコントラバスを除くほぼ全員が現代タンゴ界を代表する作曲家であり編曲家、フリアン・プラサはバンドネオン奏者だったが、グループの編成のためにピアノに転向した(リーダーのプグリエーセがピアノだったから、誰かがピアノをやらないといけなかったわけで)。
歌手はアルフレド・ゴビ楽団を経て、プグリエーセ楽団で10年近く過ごしたスター歌手ホルヘ・マシエルがそのまま移動してきた。結局メンバー全員がオスバルド・プグリエーセ楽団の労音招聘、3か月の長きにわたった1965年の日本公演に参加したメンバーである。
セステート・タンゴはまずRCAビクトルに計5枚のアルバムを残した。
①RCA Camden CAS-3137 “Presentación del Sexteto Tango”·(日本盤 SHP6026「現代タンゴの雄/セステート・タンゴ」
②RCA Camden CAS-3177 “De Villoldo al Sexteto Tango”(日本盤 SHP6060「現代タンゴの雄/セステート・タンゴ第2集」およびRCA5153「エル・チョクロ」)
③RCA Camden CAL-3243 “Otra vez Buenos Aires”(日本盤 SHP6150「現代タンゴの雄/セステート・タンゴ第3集」)
④RCA Víctor AVLP-3993 “Sexteto Tango for Export”(日本盤 SHP6237現代タンゴの雄/セステート・タンゴ第4集」
⑤RCA Camden CAS-3337 “Recital del Sexteto Tango”(日本盤 RPL2024「セステート・タンゴ・リサイタル」
①から④はすべて当時ビクターから日本盤が発売されており、未発売だった⑤も1982年にRVCから日本発売され、日本でもいかに注目度の高い楽団だったかが分かる。この他、上記5枚のアルバムに収録されなかった “Anoche” “Tango de la víspera”の2曲はオムニバス・アルバムRCA CAL-3282 “Esto es el tango (vol.2)”に収録され世に出た。
1974年、セステート・タンゴはCBSに移籍、次のアルバムを発表する。
⑥CBS 19358 “Sexteto Tango para el mundo”(日本盤 CBS Sony=EPIC ECPM-112「パラ・エル・ムンド/セステート・タンゴ」)
数々のコンサートやタンゲリーア出演でも圧倒的な人気を博してきたセステート・タンゴだったが、1975年2月25日、伝えられるところによれば、ヘルニア手術のショックで引き起こされた心臓麻痺によってホルヘ・マシエルが急逝してしまう。おそらくはマシエルがいなくなったことでCBSの契約は解除となってしまったが、新たに新人歌手のラウル・フネスを専属に迎え、レーベルもミクロフォンに移籍、1976年に最初のアルバムを制作する。⑦Microfón SE-718 “Sexteto Tango”(1976)
さらに同時期に長期にわたったブラジル公演を成功させ、現地で1枚のアルバムを録音。
⑧SOM SOLP40735 “Manoel Poladian aprensenta Uma Noite em Buenos Aires com Sexteto Tango canta: Raul Funes”
その後もミクロフォンにアルバムを残している。⑩からは歌手としてホルヘ・マリアーノが参加している。
⑨Microfón SE-60118 “Tango!.. / Sexteto Tango”(1979)
⑩Microfón SE-60194 “Sentimental Buenos Aires / Sexteto Tango”(1982)
さらに1984年、ロベルト・ゴジェネチェとの共演盤をRCAで製作、大歌手との共演で大いに話題となった。
⑪RCA Víctor TLP50231 “Reunión de maestros” (1984)
さてここまでは私も順調にアルバムを集めることが出来ていたのだが、10年以上前ある雑誌をみて、上記以外にペルー公演とチリ公演の際に発売されたアルバムがあることがわかった。しばらくして、ペルー盤は入手できた。 (a) CBS=Sonoradio S.E.8363 “Sexteto Tango en Lima”(1974)
ジャケット写真を見た時点で悪い予感。曲目を見てほぼ確信に変わったが、恐る恐るレコードをかけてみると...やはり! アルゼンチン盤⑥と曲順まで全く同じ、ジャケットに「en Lima」の文字を加えただけだったのだ。はあ~...
残るチリ盤の方は長らく縁がなかったが、つい先日やっと発見してチリから送ってもらった。
(b) EMI 4172 “Sexteto Tango en Chile”(1977)
ジャケット・デザインは他にないものだし、アルゼンチンでは全く録音していないEMIレーベルのものなので、チリで独自に制作したものだろうと初めから大いに期待していた。届いてみて、曲目表の最後に Grabado en Chileとある。やった!チリ録音だ!と喜んで聞いてみると何か変...曲は A media luz / Caminito / El monito / El pollo Ricardo / Cuartito azul / El portenito / Mi Buenos Aires querido / Mal de amores / María / Cuando llora la milonga / Malenaの12曲。あれ?最後のMalenaをのぞいてブラジル録音の⑧と同じ、聞いた感じも同じ録音だ...Grabado en Chileはどうなった?...
よく見るとGrabado en Chileは曲目表の最後、ではなく、最後の曲に書かれている。そう、Malena 1曲だけがチリで録音したものだったのだ。たしかに音質も少し違う。ブラジル盤には当時のブラジルの大ヒット曲、ワンド作の「Moça」が入っていたので取り換えたのだ。それにしても1曲のためにスタジオに入るんだったらもう2~3曲やればいいのに...でも1曲とは言え、LP入手は無駄にはならなかった、と考えて喜ぶことにした。
セステート・タンゴはその後たびたび来日するようになるが、初来日後にビクトル・ラバジェンが脱退、代わりにアレハンドロ・サラテが参加。そのメンバーで1990年に日本制作(アルゼンチン録音)のCDアルバム「不滅のセステート・タンゴ」 Los éxitos inmortales de Sexteto Tangoを録音した(アルゼンチンでは未発売)。その後フリアン・プラサが抜け、1994年にルジェ―ロが死去、99年にエレーロが死去し、セステート・タンゴは事実上活動を停止した。
しかし2000年、全員異なるメンバーのセステート・タンゴのアルバム“Nochero soy”が発表された。おそらくは大規模なフィンランド公演の依頼があって再編されたのだろう。リーダーはプラサが抜けた時にも参加していたピアノのアルド・サラレギ。歌手にはルイス・リナレスとカルロス・バレーラが参加。プグリエーセ=セステート・タンゴにゆかりのないメンバーでとはいえ、優れた人選なので聞きごたえはある。ただし曲目は以前のメンバーのアレンジによるものが多くで、器楽演奏の新曲はフィンランド製タンゴ「サトゥマア」とバルカルセの新作「ラ・トランサ」のみ。その後もちょこちょこコンサート活動していたようだが、ここ10年ほどは全く名前を聞かなくなった。
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