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お前たち、100点だ 狂気は主人公の条件

デンジとパワーが岸辺先生にもらった100点。悪魔は恐れを力に変えるから、ぶっ飛んでいる思考の持ち主でないとビビらされて死ぬ、とかそういう話だった気がする。

...人間って(悪魔って)、どうして狂ったヤツを求めるのだろうか。強大な敵と戦う絶望的なシチュエーションで、普通にしていたら確実に負ける状況だから、最後の希望として狂ったヤツを欲する。マキマさんが「こいつは支配できねー」と思わせてくれる狂ったヤツを追い求める。

うん、ここまで書いていてわかってきた。彼らが求めているのは「狂っているヤツ」じゃあないね。求めているのは「状況を打破できる力を持ったヤツ」だ。で、そんなチカラを持っている奴は狂っているに決まっている、狂っているように見える、そういう話だ。

もう少し見ていくと、チェンソーマンの作中で求められ高く評価される狂気は「カオス」だ。「一貫性(継続性)のなさ」という言葉でもいいのかもしれない。

そして、ある態度が「狂気」とされる時、周囲の態度はそれと正反対である。そう、チェンソーマンに登場するキャラクターの多くは「一貫性」を持っている。「銃の悪魔を殺す」とか、「闇の悪魔と契約する」とか。もう少し考えを拡張すると「闇の悪魔」みたいな根源的な恐怖の悪魔は存在そのものが不可侵で、それはある意味での調和=一貫性がある、ってことにつながるように思える。

そうであれば、登場人物が 究極の調和 > レベルの高い調和(強い一貫性) > 普通の調和 の線上のグラデーションのどこかに配置されレベル分けされる世界観の中で、デンジとパワーは、そのベクトルの極北に置かれる。一貫性レベルが1から99まで並んでいるところの、0。すなわち、重要視される常識の外=狂っている。

そう考えると、チェソーマンって狂気の存在がフューチャーされていてそれが特徴のひとつかなって感じていたけれど、これって主人公の王道なのですね。タッチのタッちゃんもルフィも桜木花道もファブルのあっちゃんも、全員狂っている(周囲と常識を共有しない)ものな。

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